“第3のシステム”も
まったく生かされず

――烏賀陽さんの本では、第1章は「政府内部3・11のロスタイム」として、東日本大震災が起きた当日の政府内の動きを検証しています。菅直人内閣は、非常事態だったにもかかわらず、テレビ向けに閣議をやり直したそうですね。

 はい。この話は、当時の経済産業大臣だった海江田万里氏だけが、回顧録の『海江田ノート 原発との闘争176日の記録』(講談社)に書いています。

 午後2時46分に、東日本大震災が発生した直後の2時50分には官邸対策室が設置されて緊急参集チームに召集がかかりました。そして、第1回東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部会議がスタートしたのは午後3時37分でした。場所は官邸の地下にある危機管理センターです。時間は約20分だったそうですから、そこまでは迅速な動きで“事前に決められた行政手続き”の通りです。

 ところが、閣僚の一人が「ここは(テレビの)カメラが入っていないから、カメラの前でもう一度、緊急災害対策本部会議を開いたほうがよい」と言ったそうで、当時の枝野幸男官房長官が「閣僚は全員、官邸4階の大会議室に集まってくれ」と指示を出した。それで、海江田さんは、「え? それって何?」と違和感を覚えながら、大会議室に向かったそうなのです。要するに、同じ内容の会議をもう一度テレビ向けに繰り返したという話で、海江田さんは「移動も含めて約30分の時間の無駄だった」と、回顧録の中で怒っていたのです。

 これは、事故調査委員会の報告書や新聞報道などにも出ていない話だったので、私は海江田さんに話を聞きに行きました。海江田さんは、当時、経産大臣になって2ヵ月と日が浅かったのですが、原発を預かる官庁のトップとして、どのように感じていたのかを振り返ってくれました。でも、「誰が閣議をやり直す指示を出したのか」については、「いや、ちょっとそれは……言えないな」と目を閉じてしまいました。もしかしたら、「察してください」というシグナルだったのかもしれません。海江田さんは、回顧録と同様に「(閣議のやり直しは)時間の無駄だった」と率直に批判していました。

 一方で、菅さんの回顧録である『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎)には、テレビ向けに緊急災害対策本部会議が2回開かれたことにはふれず、簡単に済ませています。また、当時の官房副長官だった福山哲郎氏の『原発危機 官邸からの証言』(筑摩書房)は、記録としては非常によいのですが、所々でボス(菅さん)をかばっているのです(笑)。そこで、菅さんにも正面から取材を申し込んだのですが、残念ながら返事はありませんでした。

――福島第一原発事故は、なぜ原子炉が3基もメルトダウンするような大事故になったのか。烏賀陽さんの本では、その原因について、政府や国会、東電、民間で計4つあった事故調査委員会のどれもが素通りしたままの盲点が残っていると指摘しています。ズバリ言って、盲点とは何ですか。