生活保護政策を行う官公庁は、もちろん厚労省だ。しかし厚労省が単独で生活保護政策を決定できるわけではない。時の政権・財務省・地方自治体などとの数多くの関係の中で翻弄される生活保護政策を、やや長期的に眺めてみると、「厚労省のバックボーン」や「少し前の財務省の『社会保障とにかく削減』ではなかった姿」も見えてくる。
被災障害者への関心から
「そうだ、生活保護政策研究しよう!」
私が社会保障に本気で取り組み始めたきっかけは、2011年の東日本大震災だった。
2005年、42歳で中途障害者(障害者手帳取得は2007年)となった私は、日本の不完全な社会保障や障害者福祉に直面することになった。2011年3月は、生存や生活の危機からは脱していたものの、職業キャリアは消滅しかけていた。そのままだったら、「難病や中途障害をきっかけとした生活保護利用」という良くあるパターンをたどる人々の一人になっていただろう。しかし、
「自分と似た人たち、災害がなくても障害で困っている人たちが、災害でさらに大変なことになっていないわけがない」
という思いから、私の著述業キャリアは自然な形で再開され、テーマは「障害者の被災」から生活保護へと展開した。
生活保護という制度と関わる人々に取材し、本連載『生活保護のリアル』『生活保護のリアル~私たちの明日は?』を執筆しつづけるうちに、「生活保護政策は誰が決めているんだろう?」「生活保護基準の『決められ方』は、現状でいいのだろうか?」「生活保護基準の『高い』『低い』は、どう評価すればいいのだろうか?」「生活保護基準を低くした時、生活保護を利用している本人たち以外に『損』する人はいないのだろうか?」といった疑問が湧いてきた。どの一つも、世界中で多数の研究者が長年取り組んできている難問である。隙間時間に少しずつ調べているうちに、
「もう、生涯の課題として、公的扶助(生活保護)に取り組むしかないな」
という気持ちになり、博士号取得を目指した研究を大学院で行おうと決意した。「特定のテーマに対して検討し結果を示す」という場面では、学術研究の方法は非常に強力なのだ。
ずっと「理系」だった私は、「文系」の学問の方法論を「実は全然といってよいほど知らない」という情けない状況だったが、2014年4月、立命館大学大学院先端総合学術研究科(以下、立命館先端研)の一貫制博士課程3年次に編入。予想通り「文理の壁」で苦戦することになり、現在も職業と学業の両立で悩み続けているけれども、2年目の年度末となる2016年3月、なんとか、最初の査読付き論文を世に送り出すことができた。
論文のタイトルは、「生活保護基準決定に関する厚生労働省への財務省の影響に関する検討(2001-2009) - 『物価スライド』および『水準均衡方式』において参照する所得階層を中心に」であり、立命館先端研の紀要である「Core Ethics」誌に掲載された。近日中に、同誌サイトで全文が無料公開されるはずである。
しかし私の脳内では、この論文は「着ぐるみ頂上対決!! ゴジラ(中の人は財務省) vs.キングギドラ(中の人は厚労省)」のようなものである。