絶大な“金力”を誇り
殿様取材を繰り広げる在京キー局

 では、どのような「体質」なのか。まずひとつ考えられるのは、「メディアの上下関係」という点だ。

 どこかの場所で災害が起きる。それを取材して、被災地に情報を迅速に届けるという意味では、現地の地方紙や地元テレビ局の役割は非常に大きい。阪神・淡路大震災や東日本大震災でも、輪転機がないなかで情報を届け続けた地元新聞が、被災者たちに大いに役立ったのは有名だ。

 しかし、一方で現地メディアも「被災者」であるため、マンパワーが足りない。そこで在京メディアを中心に他地域から「応援」がくる。そう聞くと、彼らは当然、現地メディアのサポートにまわるものだと思うかもしれないが、必ずしもそうではない。中継技術やら新聞発行の協力はするものの、取材で現地メディアの「指揮下」に入るというわけではなく、むしろマンパワーが足りない現地メディアの方が地の利があるということで、在京・在阪メディアのコーディネート的なサポートにまわる局面も多い。

 なぜか。テレビの場合は特に露骨だが、キー局と系列の地方局は明確に「上下関係」があるためだ。

 地方局にとってキー局は、潤沢な制作費でつくられた映像コンテンツの供給元であると同時に、「ネットワーク費」をいただける大事な存在だ。これはキー局が系列局の「枠」を買い取った費用とされているが、実際のところ地方局への「補助金」という側面もある。

 こういう強い立場の人間なので、少しくらい非常識な振る舞いをしても現地メディアも諌めない。結果、被災者と衝突してしまうというわけだ。

 いやいや、いくら殿様気分でやってくるからといって、誰も彼もが非常識なことをするわけではないでしょとツッコミが入るかもしれないが、残念ながらそんなことはない。在京・在阪メディアの「常識」は、被災者たちの「非常識」になってしまうという構造的な問題があるからだ。

 被災地のメディアは、自分たちの読者・視聴者のために報道をおこなう。つまり、被災者が必要な支援など、より地域に根ざした情報に重きを置く。しかし、在京・在阪メディアはそうならない。

 彼らの読者・視聴者というのは、「被災者以外の全国民」なので、被災地のどこそこの小学校で水が足りていないなどの情報では「数字」がとれないのだ。だから、遠く離れた人々にも巨大地震を「体感」できるよう「被害」取材に重きを置く。かくして、雲仙の火砕流のように「大災害らしい絵」を求める取材競争が繰り広げられるのだ。