しかし、海外から外国製の眼鏡をかけて日本人社会を見ると、欧米を中心とした民主主義国といわれる国々と比べ、日本には、こうした周りに流される人たちや場面が多いと強く感じます。また、「赤信号皆で渡れば怖くない」的に、周りに流された結果、社会に迷惑をかける、又は集団犯罪に至るケースも多々あります。「ライブドア事件」「オリンパス事件」「東芝事件」等はその好例です。

 このように、筆者は、30年もの間、日本で非正規雇用労働者が増え続け、正規と非正規の労働者間格差が是正されずにきたのは、国や大多数の事業主(企業、官公庁等)そして社会全体が、この状況に対し、良心の呵責や怒りを覚えつつも、「周りに流され続けてきた」からであると思えてなりません。

「個人の権利」より「組織に対する義務」の日本

 多くの日本人は、良くも悪くも、自分が持つ権利をあからさまに主張したり、新たな権利の獲得に向け自ら動こうとしません。それよりも、自分が所属する、または関係する組織(国、地域、職場、お客様企業等)から与えられた義務を、定められたルールに従順にしたがい、きちんと果たすことを優先します。たとえその義務を果たすことで、自分の権利が侵されるリスクを感じていても、その義務が不公正、差別的、理不尽、無意味なものと感じていてもです。さらに人によっては、その義務が違法なものとわかっていても、となるでしょう。

 このように日本人社会には、良かれ悪しかれ「個人の権利」より「組織に対する義務」を優先する文化特性があります。これが現れる典型例が、有給休暇の未消化、サービス残業の実施、前述の集団企業犯罪などです。また、「同一労働・格差待遇」もその典型例の1つです。正規雇用と非正規雇用の労働者が、同じような仕事を行う多くのケースで、こうした文化特性が現れます。

 非正規雇用労働者の多くが、賃金、各種手当、福利厚生等で正規雇用労働者より恵まれていない状況にありながら、同等の権利を要求することなく頑張って仕事をします。仮に、「正社員になりたい」「昇給・昇格したい」と願う人がいたとしても、こうした場面で、直接口に出して「公正な扱いではないから、正社員にしてほしい」とか「正社員と同じ待遇にしてほしい」と権利を主張せず、まずは、その与えられた組織の義務を果たし、その頑張りとか組織への献身度(組織に心・時間・エネルギーを捧げる程度)を認めてもらうことで、権利を得ようとします。