希代の悪役プロレスラー
「タイガー・ジェット・シン」の現在
本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。
プロレス好きの人々か、そうでなくとも筆者の年齢層より上の世代、40代後半以上の人々には、「タイガー・ジェット・シン」という名前に聞き覚えのある人が多いだろう。
1970年代にアントニオ猪木のライバルとして、徹底したヒール役を演じたインド系レスラーで、つい最近までインディーズプロレスでも活躍しており、コアなプロレスファンならば、若い人もご存じだと思う。
長身の彼は、ターバンを頭に巻き、サーベルを持ってリングに上がり、善玉役の相手レスラーに対して卑劣の限りを尽くした反則攻撃を仕掛け、さらにはレフリーや観客にもしばしば襲い掛かるなど、外人悪役レスラーとしては、アブドーラ・ザ・ブッチャーとならんで知名度の高いレスラーだ。その凶悪さから「インドの狂虎」などというニックネームで呼ばれていた。
だが、そんな彼は、現在住んでいるカナダのトロントでは、インド人コミュニティの中で「超」がつく有名人である。もちろんカナダでもレスラーとして知名度が高いが、それ以上に実業家、慈善事業家として、多くの名声と人望を得ているのだ。
日本では、観客を襲ったり、プライベートでアントニオ猪木夫妻に暴行をはたらいたという報道もあったが、彼が暴力的になるのは基本的にはリングの中だけで、それ以外の暴行報道は「やらせ」であったことが関係者の証言でわかっている。
つまり彼は非常に生真面目に、律儀に日本で「狂人役・悪役」を演じていたプロだった。家に帰れば子煩悩な父親で、南米で行われたプロレス興行で自らがプロモーターになった時、呼び寄せた日本人レスラーが航空機事故で亡くなったのだが、このときには正装でテレビ会見し、真摯にお悔やみの念を述べている。
これまでの彼の姿勢が、現在まで彼を著名にしている理由のひとつと思われる。
このタイガー・ジェット・シンのリングでのいでたちは頭にターバンを巻き、サーベルを持っているものだが、それがインドを代表するヒンズー教徒ではなく、シーク教徒の宗教的装束であることはあまり知られていない。
シーク教は、インド北部パンジャブ地方から興った宗教でインド人口のわずか2%にすぎず、ヒンズー教とは異なる。彼らはヒンズー教のように偶像崇拝をせず、多神を認めず、カーストも否定する。経典を崇拝し、一神教だが、神の名は定まっていない。
このため、過去にはヒンズー教との確執やムガル帝国との戦争など、多宗教が混在するインドでいくつかの抗争を経てきたが、基本的には他宗教を否定することはせず、イスラム教のように改宗を促すような勧誘もしない。
実は、マレーシアに来てから、筆者を含めて家族全員が、このシーク教徒の方々にずいぶんとお世話になっている。タクシードライバーの手配、家の修繕、健康問題への対処から、美味しいレストランまで、彼らのネットワークは広く、筆者が困りごとを相談すると、すぐにいろいろな人を紹介してくれる。