Photo:読売新聞/アフロ

 今回は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助を取り上げたい。情報革命後の世界について話しているのに、松下幸之助は少し古すぎるのではないかと思う人もいるかもしれない。実際、幸之助さんは電気、物理、化学といった産業革命の時代の原理に基づき事業を成長させた人だ。しかし、それだけであれば「神様」と呼ばれる存在にはならなかっただろう。

 イー・アクセス(現在のワイモバイル)の創業者である千本倖夫氏は、1989年に亡くなる直前の幸之助さんに会ったという。「自分はパナソニック社以外の人で幸之助さんと会った最後の人ではないか」と話をされていた。

 千本氏は日本の通信自由化に大きく貢献した人だ。NTT出身ではあるが、その後京セラの稲盛和夫氏と共同でDDI(現在のKDDI)を立上げ、NTTに対抗できる勢力をつくりあげた。その後、インターネットの時代になってからは、イー・アクセス、イー・モバイルを創業し、日本でも有数の起業家と呼ばれるに至った人物だ。

 その千本氏が幸之助さんと会ったのは、通信の自由化が松下電器産業の将来をどのように変えていくのかについて考えていた幸之助さんから呼ばれたからだ。当時幸之助さんは、周囲の人が聞き取れるような声で話すことができない状態にあった。脇に通訳のような役割の人がいて、幸之助さんが小声で話したことを、千本氏に語ってくれたという。

 そうした状態の中でも、まだ幸之助さんは松下電器の将来を考え、戦う姿勢を失っていなかったという。幸之助さんが情報革命後の世界を生きていたとしても、きっと成功したのではないかと考える。それがなぜかをこれから述べていきたい。

何か問題に直面した際に
必ず二つの選択肢を用意した

 幸之助さんの書いた本の中に、「人を活かす経営」(松下幸之助 PHP出版)がある。幸之助さんは数多くの本を残してくれているおかげで、その発想法やモノの見方をいまでも克明に辿ることができる。幸之助さんの本は世界中の人に読まれていて、以前韓国で経営者を集めたディナーを開催した際、たまたま私の隣に座ったある企業グループの会長が、「私は幸之助さんの本をすべて読んだ」と興奮気味に話していたのを覚えている。

 この「人を活かす経営」を読んでいると、幸之助さんは何か問題に直面したとき、必ず二つの選択肢を用意して解決に当たっていたことがわかる。

 これははじめて東京に販路をつくろうとした時の話だ。幸之助さんが夜行電車で毎週のように東京に出てきて、問屋さんを回る。そこで、自分たちがつくった二灯用差込みプラグを見せて、それを取り扱ってもらうようお願いする。

 ある問屋さんが値段を聞き、幸之助さんは25銭だと答える。すると、その問屋さんは、「それなら別に高くはない。でも君は東京で初めて売りに出すのだね。それであれば、少しは勉強しなければならないよ。23銭にしたまえ」と求めた。