衰退する英国の自動産業を
支えた日本車各社の現地進出

 自動車産業についても英国は長い歴史を持ち、欧州の中でも特に日本の自動車産業との関わりが深い。英国の自動車産業そのものは、英国車ブランド自体は残しているものの、過去の栄光は見る影もなく、ほとんどの国内メーカーは外資に身売りして消滅してしまった。それでも、EU加盟国であるメリットを生かして自国の自動車生産が復活するなかで、それを支えてきたのが日産、トヨタ、ホンダの日本車なのである。

 英国の自動車産業は、かつての大英帝国が育成に力を入れるなか、欧州でドイツ、フランスと共に3強の位置づけを示した。日本車メーカーは、戦後の復興期に日産がオースチン、いすゞ自動車がヒルマンに生産技術を学んだこともあり、当時の英国自動車メーカーとの関わりは深かった。英国は1960年代まで米、独に次ぐ第3位の自動車生産国だったし、欧州戦略の面においては日本車メーカーにとって重要な位置づけにあった。

 日本と英国の自動車業界は、民間レベルの自動車市場対応として、日本自動車工業会と英国SMMT(英自動車製造販売業者協会)が、「日英自動車会談」を1975年から1983年まで開催していたといういきさつもある。

 当時の自動車貿易摩擦を回避するため、両国の業界が話し合って交渉することで成果を上げてきた。筆者はこの日英自動車会談を現役記者時代に取材したことがあるが、この会談は日英両国で交互に開催する形をとり、民間同士で徹底的に話し合い、時には深夜に及ぶ会談もあったほどだ。これは、国の政治介入を排し貿易摩擦を回避する民間レベルでの話し合いのモデルケースとして実績をつくり、評価された。

 その英国自動車産業も、1980年代以降、排ガス対策の遅れや生産効率が上がらず英メーカーは衰退していった。結果として、英国車ブランドは残っているが、いずれも外資への身売りなどを通じて、実質的な英国自動車メーカーは消滅している。英国車ブランドは、ミニとロールスロイスがBMW、ジャガー、ランドローバーがインド・タタ自動車、ベントレーが独VW、ボクスホールが米GM、ロータスがマレーシア・プロトン、MG、そしてオースチンが中国・南京汽車へというように、様々な国の企業に身売りする形で生き残っているのが現実だ。

 一方日本車メーカーは、英国との長い繋がりの歴史のなかで、欧州市場の生産基地として位置づけて来た。日産、トヨタ、ホンダの日本車大手は、1980年代から現地での生産に進出している。