小4になった次男を連れて米国留学体験
(Kisou Kubota)京都大学名誉教授、医学博士。世界で最も権威がある脳の学会「米国神経科学会」で行った研究発表は、日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において「脳、特に前頭前野の構造・機能」研究の権威。2011年、瑞宝中綬章受章。1932年、大阪生まれ。著書に、『1歳からみるみる頭がよくなる51の方法』『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』『あなたの脳が9割変わる! 超「朝活」法』(以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。
米国滞在中、ニューヨークのロックフェラー大学の友人の脳科学者の研究室に滞在することがありました。
米国生まれの次男も希望したので、アメリカ大使館で、USパスポートを発行してもらい同行させ、ホテル生活を3ヵ月ほど続けたことがあります。
私は研究室へ、次男は近くの小学5年生の教室へ(日本では小学4年生)。
1ヵ月ほどたったころ、受け持ちの先生が手紙をくれ、様子を説明してくれました。
それを読むと……
「次男は英語で話し合うのは難しいが、黒板に数式を書くと、答えをすぐに書いてくれるすぐれた生徒である」
とありました。
数字のケタ数が多くなっても、次男はきっちり四則演算は簡単にできていたので、そう評価されたのだろうと思いました。
そのころから、級友がホテルへ遊びにくるようになり、中には親を連れてくる子どももいました。
友人となった母親のひとりが、歌手で、ホテルのカクテルバーで歌っていました。
私を同伴してくれたので、いろんなホテルのバーで無料のカクテルを飲むことができ、昼は研究、夜はバー見学をして、忙しくも楽しい米国生活でした。
久保田カヨ子と天才数学者・岡潔の関係
数学者の岡潔氏が第20回文化勲章を受章されたのは、1960(昭和35)年11月3日(文化の日)です。
この直後、私たち夫婦と長男が米国のポートランドへ向かいました。
そのころの岡潔博士は、脳に興味を持たれ、恩師・時実利彦教授と交流されていました。
数学と脳と岡潔氏について、時実先生と議論したことがあります。
そんなころ、妻の久保田カヨ子が
「私はこの人を知っている!」
と言い出しました。
日本が米国に敗れた1945年ごろ、カヨ子は和歌山県の橋本に疎開しており、小学校の同級生に岡博士の長女「すがね」ちゃんがいて、仲よしだったのです。
絵が好きだったカヨ子は河原に出て、よく写生をしていました。
そんなとき、変なおじさんが突然現れて、描いた絵を消して、変な数式を書いて説明してくれたと言います。
それが一度でなく、何度もあったそうです
その変なおじさんが岡博士だったのです!
詳細を調べることがないまま渡米したので、岡博士がカヨ子に何を教えたのか、なぜそんなことをしたのか、わからずじまいです。
でも、カヨ子によると、岡博士からいろいろな話を聞いたそうです。
今のカヨ子を数字好きにした一因に、岡博士の存在があると確信しています。