血縁の絆の強調や「親類がいるなら頼りなさい」という要求は、そういう思いを土足で踏みつけてまで行うべきことであろうか? 経済的な「支援する・される」がなければ、困窮の中にある時期には少し距離を置くことで、親戚づきあいを良好に維持できるかもしれない。しかし親戚づきあいは、具体的支援が問題になれば、簡単に壊れるものだ。

 なお、高野さんが経験した路上生活の様子は、稲葉剛氏の著書『生活保護から考える』(岩波書店)に詳しい。

 母親の遺骨と愛猫を抱えた高野さんは、寝ていたダンボールハウスに「火のついたタバコを投げつけられ、ダンボールが焼けちゃって火傷しそうになった」り、小売店で廃棄される賞味期限切れのおにぎりや弁当で飢えをしのいだりしていたものの、他の路上生活者との競争に勝てず「2、3日何も食べられない日も」あり、「3ヵ月で体重は20キロも減少」したという(引用部分は、いずれも同書による)。

 もちろん地域の支援団体の人々も、「夜回り」などの機会に、高野さんの様子を気にかけていた。シェルターなど公共の支援施設の存在も教えてもらえた。

「でも、猫がいたから入れなかったんです。それで、ずっと公園にいました」(高野さん)

たった1人の「尻尾のある家族」
さえ失ってしまい……

 どんな猫だったのだろうか? 

「茶トラのオスで、雑種です。母親が拾ってきた猫です」(高野さん)

 母親と共に愛した、母親の形見でもある、たった「ひとり」の尻尾のある家族。でも、自分も食いかねている状況では、猫を放り出してしまったとしても、誰も責めないだろう。

「いいえ、猫がいたから生きてこれました。何があっても、手放すつもりはありませんでした」(高野さん)

 高野さんの路上生活は、3ヵ月間で終わった。2009年11月、支援団体の支援のもとで生活保護を申請し、猫とともにペット可アパートに入居できることになったからだ。

「アパートに入って1ヵ月後、猫の様子が、急におかしくなりました。動物病院に連れて行ったら、すでに多臓器不全になっていて、治療の甲斐もなく、すぐ亡くなりました。ショックで、涙しました。猫は10歳9ヵ月でした。デブ猫だったのに、亡くなったときは痩せて体重8kgくらいになっていました……もっと長生きできたはずだと思います」(高野さん)