日隅一雄氏が亡くなった。

 訃報を受けて、私が最初に心の中でつぶやいた一言は「お疲れさまでした」だった。

 享年49、あまりに若すぎる死だが、日隅さんの「闘い」を知る者としては、「お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」とホッとする気持ちが先に来たのが正直なところだった。

 ジャーナリストの日隅さんは、産経新聞記者から弁護士に転身した変わり種だ。

 私が最初に日隅さんと関わりを持ったのは2005年頃、NHK番組改変問題の取材(文藝春秋)でのことだった。

 ただ当時の印象は「メディアのことに精通した鋭い弁護士だな」という程度のものだった。その後、いくつかの取材の際に、よく名前を聞く弁護士として記憶していたに過ぎない。

 お互いきちんと話をするようになったのは、自由報道協会の設立時のことだった。

 2011年、自由報道協会の法人設立の際の連帯保証人のなり手がなく、筆者は途方に暮れていた。

 フリーランスジャーナリスト等の集まりである自由報道協会の特性として、保証人になれる人物は限られている。経済的な事情や社会的な信用からも「保証人なし」の状態になり、事務所すら借りることができなくなるという危機的状況に、手を差し伸べてくれたのが日隅さんだったのだ。

 当時、日隅さんは協会メンバーではなかった。だが、筆者のなんとしても日本の言論空間を健全なものに変えたいという訴えに真剣に耳を傾けてくれていたのだ。そして、こう言ってくれたのだ。