「いま世界は極めて危険な状態にある」と中野剛志氏は指摘する。アメリカの覇権パワーが衰退するとともに、リーマンショック以降、世界経済は停滞に向かっていたうえに、コロナ禍で世界経済は大恐慌以来の景気悪化になると予測されているからだ。にもかかわらず、日本はいまだに冷戦構造下の国家政策に安住しようとしているのは危険すぎる。この問題意識から、中野氏が『富国と強兵 地政経済学序説』で提唱するのが地政経済学の確立だ。(構成:ダイヤモンド社 田中泰)

世界はすでに、<br />各国が「利己的」にならざるを得ない<br />危険な状況に陥っているPhoto: Adobe Stock

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「リベラルな国際秩序」には、地政学的な下部構造がある

――前回、中野さんは、かつてのイギリスのように、食糧安全保障のために、日本も財政支出を惜しむべきではないと主張されました。しかし、日本は農業関連の財政支出を減らす一方、TPP、日米FTAで農業関税を大幅に下げていますね?

中野剛志(以下、中野) 非常に危険なことだと思います。アメリカやオーストラリアなどは国土に広大な平野を有していますから、平野の少ない日本よりも農業生産性ははるかに優れています。そのような国々と自由競争をすれば、すでに惨憺たる状況にある日本の食糧自給率を悪化させるのは火を見るより明らかです。

――たしかに……。

中野 そもそも、アメリカのグローバル覇権が衰退していくなかで、グローバリズムと称してTPPやFTAなどの急進的な自由主義経済を進めようとするのが時代錯誤というべきでしょう。

 なぜなら、グローバルな覇権国家がなければ、自由な国際経済秩序は成立しないからです。これを明らかにしたのが、経済史家のチャールズ・キンドルバーガーが最初に提唱し、その後、国際政治経済学者のロバート・ギルピンらが発展させた「覇権安定理論」です。

――「覇権安定理論」とは?

中野 例えば、自由貿易秩序が成り立つためには、無差別原則や最恵国待遇原則のような自由貿易のルール、安定的な国際通貨制度、そして国際的安全といった環境がなければなりませんが、これらは経済学で言う「公共財」としての性格をもちます。

「公共財」とは、個々人が対価を払うことなく消費することができる財のことです。例えば、一般道路やきれいな空気が典型的な「公共財」ですね。人々は誰でも自由に一般道路を通行したり、きれいな空気を吸ったりしていますが、一般道路の整備やきれいな空気の維持のために必要な費用は、政府が強制しない限り、誰も支払いません。そのため、公共財の供給は、政府が介入しない自由市場に委ねると、不十分になるわけです。

 これと同じように、国際貿易のルール、国際通貨、国際的な安全といった環境も「公共財」であり、個々の国家は、その維持に必要なコストを分担することなく、その恩恵を享受できるわけです。ところが、国内社会における「公共財」の供給には強制力をもつ政府が必要であるのと同じように、国際社会において「国際公共財」を供給するためには、本来は強制力をもつ「世界政府」が必要となるはずですが、現実には「世界政府」など存在しません。

 そこで、他国に対して強制力を有する覇権国家が必要になるわけです。覇権国のリーダーシップがなければ、国際的な「公共財」の供給が不足し、国際市場経済の秩序を維持できないのです。つまり、自由主義経済による国際秩序の基礎には、地政学的な下部構造があるということ。言い換えれば、グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだということです。

――なるほど。