「ガキっぽい情熱」を克服できない経済学

中野 私の造語ですが、経済力(富国)と政治力・軍事力(強国)との間の密接不可分な関係を解明しようとする社会科学です。地政学なくして経済を理解することはできず、経済なくして地政学を理解することはできない。だから、地政学と経済学を総合した「地政経済学」という思考様式が必要だと考えたんです。

 でも、これは決して新しいものではありません。たとえば、E・H・カーは、国際関係論の古典とも言うべき1939年の『危機の二十年』で、「経済は所与の政治的秩序の上に成り立っているものであり、政治から切り離しては、有意義な研究をすることができない」と説いていました。このような思考様式は、かつては当たり前のものだったんです。

 ところが、いま、地政学は経済に対する理解を欠き、経済学は地政学を無視するという状態にあります。おもしろいことに、これが日本だけで起きている現象ではなく、アメリカでも起きていることなんです。

――へぇ、そうなんですか。ちょっと意外ですね?

中野 ええ。さらに興味深いのは、地政学と経済学が分離した理由について、ダートマス大学教授のマイケル・マスタンドゥノが、冷戦構造の影響を指摘していることです。

 冷戦下においては、アメリカにとって安全保障上の脅威はソ連でしたが、ソ連は経済的な競合相手ではありませんでした。一方、アメリカの経済上の脅威は西ドイツや日本だったけれど、これらの国々は同盟国であり、安全保証上の脅威ではありませんでした。そのため、対ソ連を想定した軍事研究から経済への関心が脱落し、経済研究は安全保障を無視したというわけです。

――なるほど、説得力がありますね。

中野 ええ。しかし、1998年の時点でマスタンドゥノは、冷戦が終結すれば、安全保障と経済は再び結びついていくであろうと論じていたのですが、それから20年がすぎても、依然として地政学は経済学との接点を欠落させたままです。

 ただし、地政学者や国際政治学者の多くは国力の基礎に経済力があることは認めています。どうやら、彼らが経済に関する知識に乏しいのが原因となっているようなんです。

――うーん……なんとか頑張っていただきたいですね。

中野 ただですね、経済学の方は、地政学以上に狭隘な専門主義が進行していて、地政学はおろか、歴史学、政治学、社会学への接近すら拒否しているという無残なありさまなんです。

 たとえば、フランスの経済学者であるトマ・ピケティは、『21世紀の資本』でこう述べました。

「率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにもしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ。」

――辛辣ですね……。