経済学は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」?

中野 でも、私もまったく同感ですね。しかも、2008年の世界金融危機によって、主流派経済学が、経済自体についてすらも、ほとんど理解していなかったことが白日のもとにさらされたんです。

 なぜなら、この世界金融危機を予想することができた主流派の経済学者は、ほとんどいなかったからです。というのも、ピケティが「科学っぽい」と揶揄した主流派経済学の理論モデルでは、世界金融危機のような事態は起きえないと想定されていたからです。
 
 したがって当然のことながら、世界金融危機への対応にあたっても、主流派経済学は何の役にも立ちませんでした。こうして世界金融危機は、経済のみならず、経済学の信頼性にも大きな打撃を与えたんです。

――そうなんですか……。

中野 実際、主流派経済学者からも批判の声が上がっています。たとえば、IMFのチーフ・エコノミストであったサイモン・ジョンソンは、世界金融危機によって経済学もまた危機に陥ったとして、主流派経済学とは異なる新たな経済理論が必要であると論じました。

 あるいは、ポール・クルーグマンは、過去30年間のマクロ経済学の大部分は、「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」と言い放って、物議を醸しました。

 経済成長理論の発展に大きく貢献したという功績が認められて、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーは、皮肉なことに、受賞の2年前の講演のなかで、主流派経済学を次のように批判していました。

 主流派経済学の学者たちは画一的な学界の中に閉じこもり、きわめて強い仲間意識をもち、自分たちが属する集団以外の専門家たちの見解や研究にまったく興味を示さない。彼らは、経済学の進歩を権威が判定する数学的理論の純粋さによって判断するのであり、事実に対しては無関心である。その結果、マクロ経済学は過去30年以上にわたって進歩するどころか、むしろ退歩したと。

――容赦ないですね……。

中野 このように、いまや、アメリカの主導的な経済学者たちですら、主流派経済学の破綻を認めざるをえなくなっているんです。

 ところが、主流派経済学の無効が明らかになったにもかかわらず、経済学界は、これまでのところ、従来の理論モデルを反省し、それを根本的に改めようとしているようには見えません。そのような主流派経済学のあり方を、オーストラリアの経済学者であるジョン・クイギンは「ゾンビ経済学」と呼んでいます。

 だとすれば、恐るべきことに、地政学者だけでなく、経済学者自身も、経済についての正確な知識をもちえていないということになります。少なくとも主流派経済学に依拠している限りは、地政学と経済学を意味のある形で総合することは不可能です。そして、いま私たちが陥っている世界的な危機を克服することもできないんです。

――しかし、主流派経済学の何がそんなに間違っているというのですか? 

中野 現在の主流派をなす経済学は、アダム・スミスを開祖とする「古典派」、およびその後継たる「新古典派」という系譜をもち、その歴史は200年以上に及びます。しかし、その発展のプロセスで「不確実性」という概念を喪失しました。私は、これが主流派経済学の根本的な間違いだと考えています。

――「不確実性」ですか? そういえば、このインタビューの最初のほうで、信用貨幣論を説明していただいたところで「不確実性」という言葉が出てきましたね。

中野 そうそう。信用貨幣論では、貨幣を創造するとは、負債を発生させることだけど、負債には常に、「デフォルト(債務不履行)」がありうるという「不確実性」が存在していると言いましたね。

――はい。だからこそ、その「不確実性」を最小限にするために、国家権力に裏付けられた「貨幣」が一般化していったというお話でしたね。

中野 ええ。しかし、その「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至ったのです。

――どういうことですか? もっと具体的に教えてください。

中野 わかりました。ちょっと長くなりますが、いいですか?

――もちろんです。

(次回に続く)

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中野剛志(なかの・たけし)
1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。