森喜朗・前東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長Photo:Pool/gettyimages

コロナ報道もかすむほどの勢いだった森喜朗・前東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の舌禍から始まる会長交代劇。橋本聖子前五輪担当相が後任となったが、今回考えてみたいのは森前会長の引き際だ。果たしてあれでよかったのだろうか。(フリーライター 武藤弘樹)

邪魔が入り続ける東京オリパラ大会

 仕事でもプライベートでも、何か事を成そうというとき、スムーズに事が運ぶこともあれば、障害が最初から最後まで次々に現れて邪魔され続けることもある。

 東京オリンピック・パラリンピック(以下、東京オリパラ)はまさしく後者であって、人の運営によるものなので人災的な面はもちろんあるが、新型コロナウイルスがなければ、今のように綻びが表面化することもなかったかもしれず、アンラッキーが重なったとも見える。その点では運営関係者、選手および日本国民一同は実に不運だ。

 東京オリパラ開催における直近の「人災」が森喜朗氏の失言である。女性蔑視の発言とその後の会見により、多くの人の怒りを買って結局辞任した。

 引き際をどうするか・どう見せるかというのは、その人のキャリアにおいて非常に重要である。最後の姿だから印象深く人の記憶に残るということもあろうが、その人のそれまでのキャリアが引き際にすべて集約されているように感じられることが多々あるからである。引き際とは一種の総括で、または積み重ねてきたキャリアが引き際を作るともいえる。

 森氏の辞任会見についての意見が一通り出て一巡した頃合いの今、改めて森氏の引き際について考えてみたい。