2011.5.12 被災地の課題は変化しているだけで、まだまだ山積。一人ひとりの継続的な支援が大切。 震災から1ヵ月以上過ぎても電気・水道の復旧していない南三陸町泊浜への支援で温泉ツアーへ。食事の面ではそろそろ落ち着いた様子だが、がれきの撤去、漁の再開、仮設住宅などを巡ってまだまだ支援は必要だ。一人の100歩より、100人の1歩、2歩、3歩…
2011.4.28 ゲリラ的、かつ継続的な支援へと体制づくり。 優先順位が過疎地や避難所に行けない在宅避難の方々への支援へと変化していく。刻々と変わる被災地のニーズをきめ細かくリサーチ、ヒアリングすることが大切だ。継続的な支援に向けての体制づくりも始まった。
2011.4.21 大きな避難所には物資もテレビ取材も入るが、過疎地そして、風評被害に苦しむいわき市は!? 東日本大震災から10日、大きな避難所には物資やボランティア、テレビ取材クルーなどが入るが、街の中心から離れ支援の届かない場所がある。その一つ、陸前高田市の的場地区へ。その後、原発の風評被害で物資が配送されない、いわき市へ。行政と連携…
2011.4.14 緊急車両4台で片道4時間、石巻市へラーメン5000食、米900キロの炊き出しに Japan元気塾塾長・加藤秀視の被災地支援日誌。仙台空港からいったん戻ってツイッター、フェイスブック、メールで各地の仲間に呼びかけると、続々支援物資が集まり、4トントラック4台に。物資が足りない避難所の情報をツイッターで得て、駆けつける…
2011.4.7 じっとしていられない!工事用トラックにあるだけの物資を積んで仙台空港へ こんなにもたくさんの命が奪われ、また奪われようとしていることを考えると、もう動かずにはいられない。仲間、親戚の消息を求めて栃木県から福島県へ、さらに北上し仙台空港へ――