東日本大震災から10日、大きな避難所には物資やボランティア、テレビ取材クルーなどが入るが、街の中心から離れ支援の届かない場所がある。その一つ、陸前高田市の的場地区へ。その後、原発の風評被害で物資が配送されない、いわき市へ。行政と連携する支援活動報告。
■3.21
宮城県石巻市からNHK「ラジオビタミン」に中継で出演。大きい避難所には食料、物資などが届いているが、車の入りにくいところなど、支援の届いていない場所がまだまだあることを話す。現場の様子が少しでも伝わっただろうか。
小学6年生と3年生の兄弟が食べ物を探して壊滅状態の埃まみれの石巻の町を歩いていた。両親は助からなかったらしい……同情することより、彼らの食べ物の確保と彼らを保護することに専念した。それでも二人は両親と過ごした家に帰ろうとする。つらい呟きだ。
家が倒壊した被災者の方々は、車庫やわずかに残った家の片隅で生活している。少しでも自宅にスペースを見つけられたら、あえて避難所に行かない人が多い……みんな自分の家を捨てたくないんだよな。
湊小学校での本日の炊き出しは中止。他の団体の方が炊き出しを始めるということなので任せてきた。大きい避難所は道路も比較的に整備され入りやすいので、テレビで放映されたり、ボランティア団体も入ったりするが、そうじゃない地域が山ほどある。安否がわからない過疎地、水が引かず孤立してる集落、物資調達が不可能な地域、そういうところで人の命をつなぐ活動が少しでもできれば……。
ツイッターに、陸前高田市に避難所から遠く孤立した地域があると情報が入る。確認したところ、500人ほどが1週間ほどほとんど食べておらず、ガソリンもゼロで家を出られないとのこと、物資を届けに向かう。だが、石巻から陸前高田に行く道路が土砂崩れで閉鎖、「さてどうしよ?」とツイートするとルート情報のリツイートが!「有り難うぉーす!」
「陸前高田の的場地区に物資の引渡し完了しました。実際は200人ぐらいの集落でしたが、かなりの過疎地。1日1食たべられればいいほうだったようです。昨日から電気も通ったらしく、全員元気でしたよ。……帰りに陸前高田の避難場所、高田一中の本部に寄って過疎地の現状と食料不足を伝えてきました。……今日の会議で議題にあげてくれるとの約束をもらえました。でわ」(2011.3.21 20:57のツイート)