深澤 献

ダイヤモンド編集部論説委員

ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

第18回
「世界に羽ばたき、日本と韓国の懸け橋になれ」父に教えられた人生の使命/金武偉(Wil Kim)・ミッション・キャピタル マネージング・パートナー
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うこと、新しいことに挑戦する若きイノベーターたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたことで、そんなたくましさを得たのか。今回は、2018年に投資ファンド、ミッション・キャピタルを創業し、社会課題の解決と財務的利潤の両立を実現する「インパクト投資」に取り組む金武偉(キム・ムイ)さんです。
「世界に羽ばたき、日本と韓国の懸け橋になれ」父に教えられた人生の使命/金武偉(Wil Kim)・ミッション・キャピタル マネージング・パートナー
第13回
ダイエー中内功、松下電器への挑戦状「幸之助氏は一時代前の天才」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
かつて、「ダイエー・松下戦争」と呼ばれた対立があった。発端は1964年、「流通革命」「価格破壊」を旗印に掲げるダイエー創業者、中内功(1922年8月2日~2005年9月19日)が、松下電器産業(現パナソニック)の商品をメーカー希望小売価格から大幅値引きして販売したことだった。
ダイエー中内功、松下電器への挑戦状「幸之助氏は一時代前の天才」
第12回
ポルシェと共同開発、コマツが挑んだ幻の「国民車」構想
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1955年5月18日、通商産業省(現・経済産業省)の自動車課による「国民車育成要綱案(国民車構想)」が明らかになり、日本中の話題になった。一定の要件を満たす自動車に対して、国がその製造と販売を支援し、普及を促すという内容だ。
ポルシェと共同開発、コマツが挑んだ幻の「国民車」構想
第11回
東横百貨店と三越の合併を画策、東急総帥・五島慶太が描いた夢
ダイヤモンド編集部,深澤 献
東京・渋谷の東急百貨店東横店が2020年3月31日で営業を終了する。渋谷駅に直結する同店は1934年に開業した「東横百貨店」が前身で、86年の歴史に幕が下りることになる。
東横百貨店と三越の合併を画策、東急総帥・五島慶太が描いた夢
第17回
自分の未来を自分で切り開くには 広い世界に触れて学ぶしかない/白川寧々・タクトピア共同創業者 北米統括
ダイヤモンド編集部,深澤 献
時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、自らの意思で未来を切り開いていける若者の育成を、起業家教育、英語教育を通して支援するタクトピアの共同創業者、白川寧々さん。中国生まれで6歳で来日、大学から米国に渡った、まさにグローバルリーダーです。
自分の未来を自分で切り開くには 広い世界に触れて学ぶしかない/白川寧々・タクトピア共同創業者 北米統括
第10回
ドラッカー博士と伊藤雅俊氏が語り合った小売業が直面する「新しい現実」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
経営学者のピーター・F・ドラッカーは1989年に著した『新しい現実』の中で、「歴史にも峠がある」と喝破し、まさに今、歴史の転換期に突入したと明言した。
ドラッカー博士と伊藤雅俊氏が語り合った小売業が直面する「新しい現実」
第9回
「岩崎弥太郎とは火の出るようなけんかをした」浅野財閥・浅野総一郎氏の明治回顧録
ダイヤモンド編集部,深澤 献
浅野は越中国射水郡藪田村(現富山県氷見市)から1871年に上京。東京・御茶の水の冷たい名水に砂糖を入れた「水売り」などを経て、1873年に、「横浜市営瓦斯局」が産業廃棄物として処分していたコークスに目をつけ、セメント製造の燃料として官営深川セメント製造所に納めることで富を得た。
「岩崎弥太郎とは火の出るようなけんかをした」浅野財閥・浅野総一郎氏の明治回顧録
第16回
亡き母の影響で聞いた尾崎豊 高校も大学も中退だが将来のことは誰にも分からない/古田奎輔・Payke代表取締役
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる、リスクを冒してでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そんなたくましさを得たのか。今回は、商品に印刷されているバーコードを媒介に、商品の情報や魅力を多言語で外国人観光客に伝えるサービスを展開するPayke(ペイク)の古田奎輔さんです。
亡き母の影響で聞いた尾崎豊 高校も大学も中退だが将来のことは誰にも分からない/古田奎輔・Payke代表取締役
第8回
小林一三が描いた国民劇の未来「日比谷を巨大な劇場街に!」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝など阪急東宝グループを創業した小林一三(1873年1月3日 ~1957年1月25日)。出身地は山梨県で、1892年に慶應義塾大学を卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)を経て大阪に赴任したのは1907年のことである。大阪では阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の経営に携わり、鉄道を起点とした都市開発と、沿線住民の需要を満たす小売業、レジャー、エンターテインメントなどに事業の幅を広げた。
小林一三が描いた国民劇の未来「日比谷を巨大な劇場街に!」
第7回
チキンラーメン発売から6年後の安藤百福「大衆を味方に」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
NHKの朝ドラ『まんぷく』のモデルとしても注目を浴びた日清食品の創業者、安藤百福(1910年3月5日~2007年1月5日)。言わずと知れた「チキンラーメン」「カップヌードル」の開発者でもある。
チキンラーメン発売から6年後の安藤百福「大衆を味方に」
第6回
任天堂 山内溥社長「娯楽には常に“異質の創造”が必要、改良じゃダメ」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
よく知られている通り、任天堂はもともと花札やかるた、トランプの老舗で、山内溥(1927年11月7日~2013年9月19日)は3代目の社長に当たる。任天堂が家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を世に出したのは83年7月なので、このインタビューが掲載された84年12月15日号当時は、すでに任天堂は「ゲームの会社」として認知されていた。インタビューの中で山内は、娯楽のエレクトロニクス化とマイコン・ゲームへの参入に関する取り組みの歴史と、その厳しさを説明した上で、「“遊ぶ時間”を売る商売は、ものすごく難しいですよ」と覚悟を語っている。
任天堂 山内溥社長「娯楽には常に“異質の創造”が必要、改良じゃダメ」
第5回
孫正義が25年前に言った 「コロコロ事業を変えたり、多角化したくない」の真意
ダイヤモンド編集部,深澤 献
ソフトバンクの孫正義(1957年8月11日~)というと、次々と企業を買収し、事業を拡大するイメージがあるだろう。飽きっぽく変わり身が早い印象を持つ人もいるのではないだろうか。だが実は、1994年11月5日号の本誌インタビューでは、「コロコロ事業を変えたり、多角化したくなかった」と述べている。
孫正義が25年前に言った 「コロコロ事業を変えたり、多角化したくない」の真意
第4回
「渋沢栄一は天性、頭の澄んだ人」伊藤忠兵衛と渋沢秀雄が語り合った思い出
ダイヤモンド編集部,深澤 献
渋沢栄一は1909年(明治42年)、古稀(70歳)を機に、それまでに自らが立ち上げたり、設立・経営に関わった多くの企業・団体の役員から退いた。1951年4月1日号には、伊藤忠兵衛(2代目、伊藤忠商事の創業者、初代伊藤忠兵衛の次男)と渋沢秀雄(栄一の四男)による「渋沢栄一の思い出」と題された対談が掲載されている。
「渋沢栄一は天性、頭の澄んだ人」伊藤忠兵衛と渋沢秀雄が語り合った思い出
第15回
8歳で味わったバブル崩壊 証券一家で養われた体験ドリブンのお金教育/甲斐真一郎・FOLIO代表取締役兼CEO
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる。リスクを冒してでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そんなモチベーションや使命感、そして強い自己肯定感を得るに至ったのか。今回はテーマ型投資の投資プラットフォームを提供するオンライン証券ベンチャー、FOLIOの甲斐真一郎さんです。
8歳で味わったバブル崩壊 証券一家で養われた体験ドリブンのお金教育/甲斐真一郎・FOLIO代表取締役兼CEO
第2回
本田宗一郎が晩年に語った「人生は飛行機なり、立派に着陸したい」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
本田技研工業(ホンダ)の創業者・本田宗一郎(1906年11月17日~1991年8月5日)の、74歳のときのインタビューである。当時、本田は取締役最高顧問となって経営の現場から離れていたこともあり、会社経営についてほとんど言及していないが、それだけにその人となりがよくわかる内容となっている。
本田宗一郎が晩年に語った「人生は飛行機なり、立派に着陸したい」
第14回
中2の冬に受けた衝撃 誰かがやるのを待っていても何も変わらない/川口加奈・NPO法人Homedoor理事長
ダイヤモンド編集部,深澤 献
新しい常識をつくるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな環境で育ち、どんな原体験に支えられているのか。今回は、中学2年生のときに参加した釜ヶ崎・あいりん地区での炊き出しボランティア体験でホームレス問題に直面して以来、その解決に取り組み、19歳でNPO法人Homedoor(ホームドア)を設立した川口加奈理事長です。
中2の冬に受けた衝撃 誰かがやるのを待っていても何も変わらない/川口加奈・NPO法人Homedoor理事長
第13回
"固有名詞"だった憧れを自分にフィットした役割に置き換え、夢を叶えてきた/袴田武史・ispaceファウンダー兼CEO
ダイヤモンド編集部,深澤 献
仕事を通じて社会を変えていこうと活躍する若きイノベーターたちは、どう育ってきて、どんな原体験に支えられているのか。今回は、人類の生活圏を宇宙に広げるべく、月面資源開発に取り組むispaceの創業者、袴田武史さん。意外にも、第1希望の道に進めない経験の方が多かったようです。
"固有名詞"だった憧れを自分にフィットした役割に置き換え、夢を叶えてきた/袴田武史・ispaceファウンダー兼CEO
第1回
松下幸之助の80年代米国訪問記「日本はおだてられて、調子に乗るな」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1981年(昭和56年)1月の年頭の挨拶で、パナソニックの創業者、松下幸之助は「1年ぐらい米国にとどまって、じっくりと米国という国を見てみたい」と語ったという。当時、松下はすでに現役を退き、相談役に就いていた。
松下幸之助の80年代米国訪問記「日本はおだてられて、調子に乗るな」
第12回
医学生、小説家、起業家… やりたいことをやってきた でも、人生の大半は苦しかった/石井大地・グラファー創業者・CEO
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる、リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そのたくましさを得たのか。今回は、東京大学医学部から文学部に転じ、小説家として文藝賞を受賞、その後、プログラミングや事業開発に携わり、行政手続きのIT化で起業した石井大地さんです。
医学生、小説家、起業家… やりたいことをやってきた でも、人生の大半は苦しかった/石井大地・グラファー創業者・CEO
第11回
世の中がおかしいなら自分で良いように変える──僕の“中2病”はこう育った/伊藤和真・PoliPoli代表
ダイヤモンド編集部,深澤 献
時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ち、どんな原体験に支えられているのか。今回は、大学入学と同時に俳句アプリを作り、それを売却後、今は政治家と市民の情報共有プラットフォーム「PoliPoli」の代表を務める現役大学生の伊藤和真さんです。
世の中がおかしいなら自分で良いように変える──僕の“中2病”はこう育った/伊藤和真・PoliPoli代表
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