深澤 献

ダイヤモンド編集部論説委員

ふかさわ・けん/広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア、流通・小売り、通信・IT業界などの 担当記者を経て、2002年10月より副編集長。16年4月よりダイヤモンド・オンライン(DOL)編集長。17年4月よりDOL編集長との兼任で週刊ダイヤモンド編集長。19年4月よりデジタルメディア開発部長兼ダイヤモンド論説委員。2022年2月~24年2月まで株式会社TBMに転じた後、24年4月より週刊ダイヤモンド事業室編集委員。著書に「そごう 壊れた百貨店」「沸騰する中国」(いずれもダイヤモンド社刊・共著)など。趣味はマラソン。

第20回
東芝・石坂泰三社長、戦後早々の欧米視察で確信した日本復活の道(上)
ダイヤモンド編集部,深澤 献
石坂泰三(1886年6月3日~1975年3月6日)は、旧制の府立一中(現東京都立日比谷高校)、旧制一高を経て、1911年に東京帝国大学法科を卒業し、逓信省に入省した。1955年に日本生産性本部の初代会長、翌年には経団連2代目会長に就任し、財界のリーダーとして経済大国への道を先導していった。
東芝・石坂泰三社長、戦後早々の欧米視察で確信した日本復活の道(上)
第21回
37歳で死んだおやじ 死生観に向き合わないまま自分の人生を彩るって難しい/塩田元規・アカツキ代表取締役CEO
ダイヤモンド編集部,深澤 献
他人と違った道を行き、時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、モバイルゲームの開発や横浜の複合型娯楽施設「アソビル」の運営など、デジタルとリアルの両領域でエンターテインメント事業を展開するアカツキの塩田元規さんです。
37歳で死んだおやじ 死生観に向き合わないまま自分の人生を彩るって難しい/塩田元規・アカツキ代表取締役CEO
第19回
経団連・石川一郎初代会長が語る“化学人生”と、経済団体の在り方
ダイヤモンド編集部,深澤 献
戦後の日本経済の発展は、政・官・財界の「鉄の三角形」と呼ばれるほどの強い結び付きによるものといわれる。終戦直後、財界を形成していたのは、経済団体連合会、日本経営者団体連盟、経済同友会、日本商工会議所、関西経済連合会といった5団体を中心とする有力企業の経営者たちの横のつながりだった。
経団連・石川一郎初代会長が語る“化学人生”と、経済団体の在り方
第18回
江崎グリコ創業者・江崎利一、心理学まで極めた「創意工夫の成功譚」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
江崎グリコの社訓は、創業者・江崎利一(1882年12月23日~1980年2月2日)が残した「七訓──創意工夫、積極果敢、不屈邁進、質実剛健、勤倹力行、協同一致、奉仕一貫」である。その中でも「創意工夫」は、江崎の起業精神と成功を表す最も適当な言葉といえるだろう。
江崎グリコ創業者・江崎利一、心理学まで極めた「創意工夫の成功譚」
第20回
就職は考えなかった。在学中の起業はリスクゼロという感覚/田角 陸・いちから代表取締役社長CEO
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる。リスクを取ってでも新しい道を行く――。そんな若きイノベーターたちはどう育ってきたのか。今回は、誰でもアニメのキャラクターに扮して「バーチャルYouTuber(バーチャルライバー)」になり、動画を配信できる「にじさんじアプリ」を開発、現在はバーチャルライバーが所属するタレント事業「にじさんじプロジェクト」を手掛ける、いちからの田角陸さんです。
就職は考えなかった。在学中の起業はリスクゼロという感覚/田角 陸・いちから代表取締役社長CEO
第17回
セコム創業者、飯田亮が「社会に役立つ仕事」にこだわる原体験
ダイヤモンド編集部,深澤 献
飯田亮(1933年4月1日~)が、日本初の警備保障会社とされる日本警備保障(現セコム)を創業したのは1962年のこと。東京オリンピックで選手村などの警備を民間企業として一手に担ったのを機に、事業を拡大させた。
セコム創業者、飯田亮が「社会に役立つ仕事」にこだわる原体験
第16回
帝国ホテル・犬丸徹三社長が回顧するマッカーサーとの「東京ドライブ観光」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
帝国ホテルは1890年、大日本帝国憲法発布の翌年に鹿鳴館と隣接する日比谷の地に開業した。初代外務大臣の井上馨が、渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎らに「日本の迎賓館」の建設の必要性を説き、建設に至った。帝国ホテルの支配人に就任したのが犬丸徹三(1887年6月8日~1981年4月9日)である。
帝国ホテル・犬丸徹三社長が回顧するマッカーサーとの「東京ドライブ観光」
第19回
夢は「世界一になる!」 ひたすら自己肯定感を育んでくれた両親/保手濱彰人・ダブルエル社長
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる、リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、東京大学在学中に起業サークル「TNK」を設立、多くの起業家の輩出に貢献した一方、自身も漫画やアニメなど和製コンテンツの権利マネジメントとグローバル展開を行うダブルエルの社長、保手濱彰人さんです。
夢は「世界一になる!」 ひたすら自己肯定感を育んでくれた両親/保手濱彰人・ダブルエル社長
第15回
住友銀行・磯田一郎と西武鉄道・堤義明が語り合った「経営の強さ、人の強さ」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
住友銀行(現三井住友銀行)の「天皇」と称された磯田一郎会長(1913年1月12日~93年12月3日) と、西武鉄道グループのオーナー社長、堤義明(1934年5月29日~)による対談で、掲載は1984年1月7日号である。両者とも絶好調の時期、「経営の強さ、人の強さ」をテーマに語り合ってもらっている。
住友銀行・磯田一郎と西武鉄道・堤義明が語り合った「経営の強さ、人の強さ」
第14回
鳥井信治郎が語る、国産ウイスキー第1号の記憶とサントリーが非上場の理由
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1923年、寿屋(現サントリーホールディングス)の創業者である鳥井信治郎は、京都の南西にある「山崎」の地に日本初のモルトウイスキー蒸留所を開設した。鳥井も語っているが、山崎は千利休が茶室「妙喜庵待庵」を設けたほどの水質の良さに加え、木津川、桂川、淀川(宇治川)の3つの川が合流するために霧(もや)が立ち込める湿潤な環境が、ウイスキーづくりに適した立地とされている。
鳥井信治郎が語る、国産ウイスキー第1号の記憶とサントリーが非上場の理由
第18回
「世界に羽ばたき、日本と韓国の懸け橋になれ」父に教えられた人生の使命/金武偉(Wil Kim)・ミッション・キャピタル マネージング・パートナー
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うこと、新しいことに挑戦する若きイノベーターたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたことで、そんなたくましさを得たのか。今回は、2018年に投資ファンド、ミッション・キャピタルを創業し、社会課題の解決と財務的利潤の両立を実現する「インパクト投資」に取り組む金武偉(キム・ムイ)さんです。
「世界に羽ばたき、日本と韓国の懸け橋になれ」父に教えられた人生の使命/金武偉(Wil Kim)・ミッション・キャピタル マネージング・パートナー
第13回
ダイエー中内功、松下電器への挑戦状「幸之助氏は一時代前の天才」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
かつて、「ダイエー・松下戦争」と呼ばれた対立があった。発端は1964年、「流通革命」「価格破壊」を旗印に掲げるダイエー創業者、中内功(1922年8月2日~2005年9月19日)が、松下電器産業(現パナソニック)の商品をメーカー希望小売価格から大幅値引きして販売したことだった。
ダイエー中内功、松下電器への挑戦状「幸之助氏は一時代前の天才」
第12回
ポルシェと共同開発、コマツが挑んだ幻の「国民車」構想
ダイヤモンド編集部,深澤 献
1955年5月18日、通商産業省(現・経済産業省)の自動車課による「国民車育成要綱案(国民車構想)」が明らかになり、日本中の話題になった。一定の要件を満たす自動車に対して、国がその製造と販売を支援し、普及を促すという内容だ。
ポルシェと共同開発、コマツが挑んだ幻の「国民車」構想
第11回
東横百貨店と三越の合併を画策、東急総帥・五島慶太が描いた夢
ダイヤモンド編集部,深澤 献
東京・渋谷の東急百貨店東横店が2020年3月31日で営業を終了する。渋谷駅に直結する同店は1934年に開業した「東横百貨店」が前身で、86年の歴史に幕が下りることになる。
東横百貨店と三越の合併を画策、東急総帥・五島慶太が描いた夢
第17回
自分の未来を自分で切り開くには 広い世界に触れて学ぶしかない/白川寧々・タクトピア共同創業者 北米統括
ダイヤモンド編集部,深澤 献
時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、自らの意思で未来を切り開いていける若者の育成を、起業家教育、英語教育を通して支援するタクトピアの共同創業者、白川寧々さん。中国生まれで6歳で来日、大学から米国に渡った、まさにグローバルリーダーです。
自分の未来を自分で切り開くには 広い世界に触れて学ぶしかない/白川寧々・タクトピア共同創業者 北米統括
第10回
ドラッカー博士と伊藤雅俊氏が語り合った小売業が直面する「新しい現実」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
経営学者のピーター・F・ドラッカーは1989年に著した『新しい現実』の中で、「歴史にも峠がある」と喝破し、まさに今、歴史の転換期に突入したと明言した。
ドラッカー博士と伊藤雅俊氏が語り合った小売業が直面する「新しい現実」
第9回
「岩崎弥太郎とは火の出るようなけんかをした」浅野財閥・浅野総一郎氏の明治回顧録
ダイヤモンド編集部,深澤 献
浅野は越中国射水郡藪田村(現富山県氷見市)から1871年に上京。東京・御茶の水の冷たい名水に砂糖を入れた「水売り」などを経て、1873年に、「横浜市営瓦斯局」が産業廃棄物として処分していたコークスに目をつけ、セメント製造の燃料として官営深川セメント製造所に納めることで富を得た。
「岩崎弥太郎とは火の出るようなけんかをした」浅野財閥・浅野総一郎氏の明治回顧録
第16回
亡き母の影響で聞いた尾崎豊 高校も大学も中退だが将来のことは誰にも分からない/古田奎輔・Payke代表取締役
ダイヤモンド編集部,深澤 献
人と違うことをやる、リスクを冒してでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そんなたくましさを得たのか。今回は、商品に印刷されているバーコードを媒介に、商品の情報や魅力を多言語で外国人観光客に伝えるサービスを展開するPayke(ペイク)の古田奎輔さんです。
亡き母の影響で聞いた尾崎豊 高校も大学も中退だが将来のことは誰にも分からない/古田奎輔・Payke代表取締役
第8回
小林一三が描いた国民劇の未来「日比谷を巨大な劇場街に!」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝など阪急東宝グループを創業した小林一三(1873年1月3日 ~1957年1月25日)。出身地は山梨県で、1892年に慶應義塾大学を卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)を経て大阪に赴任したのは1907年のことである。大阪では阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の経営に携わり、鉄道を起点とした都市開発と、沿線住民の需要を満たす小売業、レジャー、エンターテインメントなどに事業の幅を広げた。
小林一三が描いた国民劇の未来「日比谷を巨大な劇場街に!」
第7回
チキンラーメン発売から6年後の安藤百福「大衆を味方に」
ダイヤモンド編集部,深澤 献
NHKの朝ドラ『まんぷく』のモデルとしても注目を浴びた日清食品の創業者、安藤百福(1910年3月5日~2007年1月5日)。言わずと知れた「チキンラーメン」「カップヌードル」の開発者でもある。
チキンラーメン発売から6年後の安藤百福「大衆を味方に」
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