深澤 献
第20回
石坂泰三(1886年6月3日~1975年3月6日)は、旧制の府立一中(現東京都立日比谷高校)、旧制一高を経て、1911年に東京帝国大学法科を卒業し、逓信省に入省した。1955年に日本生産性本部の初代会長、翌年には経団連2代目会長に就任し、財界のリーダーとして経済大国への道を先導していった。

第21回
他人と違った道を行き、時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、モバイルゲームの開発や横浜の複合型娯楽施設「アソビル」の運営など、デジタルとリアルの両領域でエンターテインメント事業を展開するアカツキの塩田元規さんです。

第19回
戦後の日本経済の発展は、政・官・財界の「鉄の三角形」と呼ばれるほどの強い結び付きによるものといわれる。終戦直後、財界を形成していたのは、経済団体連合会、日本経営者団体連盟、経済同友会、日本商工会議所、関西経済連合会といった5団体を中心とする有力企業の経営者たちの横のつながりだった。

第18回
江崎グリコの社訓は、創業者・江崎利一(1882年12月23日~1980年2月2日)が残した「七訓──創意工夫、積極果敢、不屈邁進、質実剛健、勤倹力行、協同一致、奉仕一貫」である。その中でも「創意工夫」は、江崎の起業精神と成功を表す最も適当な言葉といえるだろう。

第20回
人と違うことをやる。リスクを取ってでも新しい道を行く――。そんな若きイノベーターたちはどう育ってきたのか。今回は、誰でもアニメのキャラクターに扮して「バーチャルYouTuber(バーチャルライバー)」になり、動画を配信できる「にじさんじアプリ」を開発、現在はバーチャルライバーが所属するタレント事業「にじさんじプロジェクト」を手掛ける、いちからの田角陸さんです。

第17回
飯田亮(1933年4月1日~)が、日本初の警備保障会社とされる日本警備保障(現セコム)を創業したのは1962年のこと。東京オリンピックで選手村などの警備を民間企業として一手に担ったのを機に、事業を拡大させた。

第16回
帝国ホテルは1890年、大日本帝国憲法発布の翌年に鹿鳴館と隣接する日比谷の地に開業した。初代外務大臣の井上馨が、渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎らに「日本の迎賓館」の建設の必要性を説き、建設に至った。帝国ホテルの支配人に就任したのが犬丸徹三(1887年6月8日~1981年4月9日)である。

第19回
人と違うことをやる、リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、東京大学在学中に起業サークル「TNK」を設立、多くの起業家の輩出に貢献した一方、自身も漫画やアニメなど和製コンテンツの権利マネジメントとグローバル展開を行うダブルエルの社長、保手濱彰人さんです。

第15回
住友銀行(現三井住友銀行)の「天皇」と称された磯田一郎会長(1913年1月12日~93年12月3日) と、西武鉄道グループのオーナー社長、堤義明(1934年5月29日~)による対談で、掲載は1984年1月7日号である。両者とも絶好調の時期、「経営の強さ、人の強さ」をテーマに語り合ってもらっている。

第14回
1923年、寿屋(現サントリーホールディングス)の創業者である鳥井信治郎は、京都の南西にある「山崎」の地に日本初のモルトウイスキー蒸留所を開設した。鳥井も語っているが、山崎は千利休が茶室「妙喜庵待庵」を設けたほどの水質の良さに加え、木津川、桂川、淀川(宇治川)の3つの川が合流するために霧(もや)が立ち込める湿潤な環境が、ウイスキーづくりに適した立地とされている。

第18回
人と違うこと、新しいことに挑戦する若きイノベーターたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたことで、そんなたくましさを得たのか。今回は、2018年に投資ファンド、ミッション・キャピタルを創業し、社会課題の解決と財務的利潤の両立を実現する「インパクト投資」に取り組む金武偉(キム・ムイ)さんです。

第13回
かつて、「ダイエー・松下戦争」と呼ばれた対立があった。発端は1964年、「流通革命」「価格破壊」を旗印に掲げるダイエー創業者、中内功(1922年8月2日~2005年9月19日)が、松下電器産業(現パナソニック)の商品をメーカー希望小売価格から大幅値引きして販売したことだった。

第12回
1955年5月18日、通商産業省(現・経済産業省)の自動車課による「国民車育成要綱案(国民車構想)」が明らかになり、日本中の話題になった。一定の要件を満たす自動車に対して、国がその製造と販売を支援し、普及を促すという内容だ。

第11回
東京・渋谷の東急百貨店東横店が2020年3月31日で営業を終了する。渋谷駅に直結する同店は1934年に開業した「東横百貨店」が前身で、86年の歴史に幕が下りることになる。

第17回
時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、自らの意思で未来を切り開いていける若者の育成を、起業家教育、英語教育を通して支援するタクトピアの共同創業者、白川寧々さん。中国生まれで6歳で来日、大学から米国に渡った、まさにグローバルリーダーです。

第10回
経営学者のピーター・F・ドラッカーは1989年に著した『新しい現実』の中で、「歴史にも峠がある」と喝破し、まさに今、歴史の転換期に突入したと明言した。

第9回
浅野は越中国射水郡藪田村(現富山県氷見市)から1871年に上京。東京・御茶の水の冷たい名水に砂糖を入れた「水売り」などを経て、1873年に、「横浜市営瓦斯局」が産業廃棄物として処分していたコークスに目をつけ、セメント製造の燃料として官営深川セメント製造所に納めることで富を得た。

第16回
人と違うことをやる、リスクを冒してでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そんなたくましさを得たのか。今回は、商品に印刷されているバーコードを媒介に、商品の情報や魅力を多言語で外国人観光客に伝えるサービスを展開するPayke(ペイク)の古田奎輔さんです。

第8回
阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝など阪急東宝グループを創業した小林一三(1873年1月3日 ~1957年1月25日)。出身地は山梨県で、1892年に慶應義塾大学を卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)を経て大阪に赴任したのは1907年のことである。大阪では阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の経営に携わり、鉄道を起点とした都市開発と、沿線住民の需要を満たす小売業、レジャー、エンターテインメントなどに事業の幅を広げた。

第7回
NHKの朝ドラ『まんぷく』のモデルとしても注目を浴びた日清食品の創業者、安藤百福(1910年3月5日~2007年1月5日)。言わずと知れた「チキンラーメン」「カップヌードル」の開発者でもある。
