深澤 献
第22回
人と違うことをやる。リスクを取ってでも新しい道を行く――。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。今回は、AI(人工知能)を使った自動会話プログラムであるチャットボットを、商品購入など高度なコミュニケーションに活用し、新たな産業革命に取り組むジールスの清水正大さんです。

#10
功成り名を遂げた経営者は、教育について語り、自ら理想の学校をつくることが多い。また企業や産業界が社会に有為な人材づくりを目的に学校をつくることもある。日本にこんなにある“企業立”の大学や中学・高校を見ていこう。

#9
日本電産の永守重信会長が100億円を超える私財を投じて大学改革に乗り出している。理事長を務める永守学園(旧京都学園)が運営する京都先端科学大学(旧京都学園大学)は、早くも大きく変わり始めた。2020年にはモーター専門学科も開設予定。永守氏にとって「最後のライフワーク」となるであろう大学教育の最終目標とは?

#7
M&Aを経て増え続ける世界中のグループ企業のリーダーたちを集め、2016年に開校した日本電産の「グローバル経営大学校」。世界中から集結した経営者候補たちは、ここで何を学んでいるのか。最前線を取材した。

#6
「情熱、熱意、執念」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」……。何事にも徹底的に取り組むという永守重信会長の仕事の流儀は、グループ企業の隅々にまで浸透している。なぜそれが可能なのか。永守式M&Aを間近で見てきた側近が語る。

#4
カリスマ創業者の眼鏡にかない、後継者に指名された日本電産の吉本浩之社長。しかし就任1年目から経営環境の激変による業績悪化に直面し、再び永守重信会長が経営の前面に復帰した。吉本社長はこの試練をどう乗り越えるのか。2人の1年間の軌跡を追った。

第21回
前回に続き、第一生命保険社長、東芝社長、経団連2代目会長などを歴任した石坂泰三(1886年6月3日~1975年3月6日)のインタビュー後編である。石坂は戦後間もない1950年に、2ヵ月余りの時間をかけて欧米を視察し、その目で見てきた海外経済の実態と、そこから導き出した日本の産業の課題について語っている。

#2
海外企業のM&Aで失敗する日本企業が多い中、これまで64社のM&Aを全て成功させてきた日本電産の永守重信会長。その鍵は買収後のマネジメント(PMI)にある。永守会長が買収先企業の意識を変革し、“ミニ永守“へとたたき直す「任せて任さず」の極意を明かす。

#1
一代で大企業を築き上げた大経営者でも、後継者選びでつまずく例は枚挙にいとまがない。日本電産の永守重信会長は昨年、後継社長として吉本浩之氏を指名した。この先、いかにして吉本社長にバトンを渡すのか。カリスマ創業者故の葛藤と苦悩を語った。

予告編
日本電産・永守流「人の鍛え方」、後継社長・グローバル幹部・大学教育…
それはたった4人、プレハブ小屋から始まった。今や売上高1兆5000億円という世界最大のモーターメーカーをつくり上げた永守重信・日本電産会長兼CEO。その根幹にあるのが永守流の組織再生と人材育成術だ。その極意の全てを明らかにする。

第20回
石坂泰三(1886年6月3日~1975年3月6日)は、旧制の府立一中(現東京都立日比谷高校)、旧制一高を経て、1911年に東京帝国大学法科を卒業し、逓信省に入省した。1955年に日本生産性本部の初代会長、翌年には経団連2代目会長に就任し、財界のリーダーとして経済大国への道を先導していった。

第21回
他人と違った道を行き、時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。また、その原体験はどこにあるのか。今回は、モバイルゲームの開発や横浜の複合型娯楽施設「アソビル」の運営など、デジタルとリアルの両領域でエンターテインメント事業を展開するアカツキの塩田元規さんです。

第19回
戦後の日本経済の発展は、政・官・財界の「鉄の三角形」と呼ばれるほどの強い結び付きによるものといわれる。終戦直後、財界を形成していたのは、経済団体連合会、日本経営者団体連盟、経済同友会、日本商工会議所、関西経済連合会といった5団体を中心とする有力企業の経営者たちの横のつながりだった。

第18回
江崎グリコの社訓は、創業者・江崎利一(1882年12月23日~1980年2月2日)が残した「七訓──創意工夫、積極果敢、不屈邁進、質実剛健、勤倹力行、協同一致、奉仕一貫」である。その中でも「創意工夫」は、江崎の起業精神と成功を表す最も適当な言葉といえるだろう。

第20回
人と違うことをやる。リスクを取ってでも新しい道を行く――。そんな若きイノベーターたちはどう育ってきたのか。今回は、誰でもアニメのキャラクターに扮して「バーチャルYouTuber(バーチャルライバー)」になり、動画を配信できる「にじさんじアプリ」を開発、現在はバーチャルライバーが所属するタレント事業「にじさんじプロジェクト」を手掛ける、いちからの田角陸さんです。

第17回
飯田亮(1933年4月1日~)が、日本初の警備保障会社とされる日本警備保障(現セコム)を創業したのは1962年のこと。東京オリンピックで選手村などの警備を民間企業として一手に担ったのを機に、事業を拡大させた。

第16回
帝国ホテルは1890年、大日本帝国憲法発布の翌年に鹿鳴館と隣接する日比谷の地に開業した。初代外務大臣の井上馨が、渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎らに「日本の迎賓館」の建設の必要性を説き、建設に至った。帝国ホテルの支配人に就任したのが犬丸徹三(1887年6月8日~1981年4月9日)である。

第19回
人と違うことをやる、リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、東京大学在学中に起業サークル「TNK」を設立、多くの起業家の輩出に貢献した一方、自身も漫画やアニメなど和製コンテンツの権利マネジメントとグローバル展開を行うダブルエルの社長、保手濱彰人さんです。

第15回
住友銀行(現三井住友銀行)の「天皇」と称された磯田一郎会長(1913年1月12日~93年12月3日) と、西武鉄道グループのオーナー社長、堤義明(1934年5月29日~)による対談で、掲載は1984年1月7日号である。両者とも絶好調の時期、「経営の強さ、人の強さ」をテーマに語り合ってもらっている。

第14回
1923年、寿屋(現サントリーホールディングス)の創業者である鳥井信治郎は、京都の南西にある「山崎」の地に日本初のモルトウイスキー蒸留所を開設した。鳥井も語っているが、山崎は千利休が茶室「妙喜庵待庵」を設けたほどの水質の良さに加え、木津川、桂川、淀川(宇治川)の3つの川が合流するために霧(もや)が立ち込める湿潤な環境が、ウイスキーづくりに適した立地とされている。
