「自分は貧しい」「自分は困っている」とは言いにくい。まして多感な中学生なら、なおさらだ。しかし、小さなSOSを素直に出せるかもしれない場所がある。学校の保健室だ。
中学校の保健室に集まる、声にならないSOS
2016年8月10日に刊行されたばかりの書籍『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書。以下、『ルポ 保健室』)が、静かに反響を呼んでいる。
タイトルどおり、舞台は「保健室」だ。公立中学校の保健室の日常が、つとめて感情を込めず、淡々と、事実を……という筆致で描かれている。にもかかわらず、保健室を訪れる中学生たちの思いや声にならない叫び声が、行間から噴き出してくるように感じられる。大人社会の中で「理解できない」「問題の子」とされがちな中学生たちは、しばしば、貧困・虐待・いじめなどの中で、小さな身体を張って十余年を生き延び、闘い疲れている。中学生になると、思春期の「性」の問題も加わる。性的虐待・不本意な売春・LGBTなど自らの性認識を含めて、「生きづらさ」が大きく増幅されがちだ。
著者は、ノンフィクション・ライターの秋山千佳さん。
「保健室を取材すれば、いまどきの子どもの問題が見えてくるのではないか」(『ルポ 保健室』より)
と感じた秋山さんは、新聞社に勤務する記者だった2010年、保健室の取材を開始したという。取材を重ねるにつれ「当初の予想を絶するような事情を抱える子どもたちと出会う」ことになった秋山さんは、「貧困は、どの保健室でもありふれたもの」という現実を述べつつも、「子どもの立場からすると(略)苦しさは、一つのキーワードだけでは言い表せない、いくつもの困難が絡みあった状態」という。
しかし、困難な状況にある中学生たちが教室の中でSOSサインを出すことは少ない。クラスメートの中で、教員たちの中で、常に評価され緊張を強いられる場で、弱みを積極的に見せたいとは思わないだろう。しかし保健室は、安心して弱みを見せられる場だ。ちょっとした体調不良を理由として行くことのできる保健室は、今、「保健室ほど、現代の子どもたちをとりまく問題を明瞭に見渡せる場所はない」という位置づけにある。
もしも、そこにいる「保健室の先生」こと養護教諭が例外なく、ちょっとした体調不良の相談や雑談の中から子どもたちのSOSサインを感知し、たわいない雑談を繰り返しながら、置かれている環境や直面しつづけている困難を探り出し、支援のネットワークを作り上げられる状況であれば、全国の学校という学校にある保健室は「子どもたちを救う最前線」ともなりうる(以上、引用は『ルポ 保健室』より)。
『ルポ 保健室』は、どのような経緯を経て生まれたのだろうか?