「優しさという強さ」に包まれて
――ロールモデルは幼少時に見た母親の姿
斎藤 濱松さんの使命感や社会をよりよくしたいという熱量は、常々すごいものがあると感じていました。その源泉はどこからきているのですか?
幼少期に最も深いマイナスがある <拡大画像を表示する>
濱松 おそらく、生い立ちがそうさせているところはあると思います。
斎藤 拙著『一生を賭ける仕事の見つけ方』で紹介している「感情曲線」を書いていただきましたが、そこはかなりマイナスになっていますね。
濱松 ええ。僕が2歳のときに、両親が離婚したんですね。母親は、僕たち3人の息子を女手ひとつで育ててくれました。障がい者支援施設や児童養護施設の調理師として働いていたので、給料も決して多くなかったと思います。僕は結婚もしていないし、子どももいないのでわからないのですが、働きながら1人で3人を育てるというのは相当大変だったと思います。
でも、母親は自分の周囲の人たち、つまり家族や友人や職場の仲間に対してめちゃめちゃ優しいんです。絶望しても不思議ではない状況のなか、ネグレクト(育児放棄)にもならず、優しく育ててくれた母親に対しては、尊敬と感謝しかありません。家庭としてはどん底だったかもしれませんが、通常の家庭と比較しても、幸か不幸か僕自身には辛いという感覚がありませんでした。母子家庭であろうが、僕は母親の「優しさという強さ」に包まれて育てられましたからね。これが原体験となって、周りの人をよくするために自分ができることをやる、努力をする、意志を放棄しない、見返りを求めない、優しさの中に強さと芯をもった人になるという姿勢が、幼いころから自然と身についていたのかもしれません。もちろん、まだまだ足りないところはありますが(笑)
やんちゃだったにもかかわらず幼稚園からリーダータイプで文武両道になれたのも、母親が常に味方でいてくれたからこそだと思っています。
「勉強はしないとダメよ」
「部活でも留学でもやりたいことはやりなさい。お金がたくさんあるわけじゃないけど、応援するから」
「でも辛いことがあったらいつでもやめていいよ」
もちろん、学生時代などさまざまな場面でお世話になった恩師もいます。その人たちは大事ですけれど、やはり母親にまさる存在ではありません。おそらく、10歳までの原体験で僕は形成されているのだろうなという自覚は何となくありますね。
斎藤 濱松さんのその原体験が、強烈にがんばれる「もと」になっていそうですね。その話をお聞きすると、人を巻き込むことの大切さがより伝わってきます。そんな濱松さんがパナソニックに入ったあと、いくつかの「波」が始まりますね。
濱松 入社後、すぐに数千億円規模のテレビ事業部門に入ったのです。花形のテレビ事業部に配属されたことは嬉しかったのですが、当時は特にライバル企業に追われていた時期でピリピリした雰囲気だったのが第一印象です。しかも数千億円の巨大事業ですから、私のような若手社員はどうしても「組織の歯車」になるんですよね。花形で巨大事業だからこその悩みを当時は悶々と抱えていました。これがパナソニックでの原体験になっていますが、大企業ではどこも似たようなことがあると思います。
その後、花形事業から将来性の高いインド事業に異動するのですが、その間に3年間小さな事業部に所属した時期がありました。そこは、東京の横田や沖縄の嘉手納など米軍基地内のスーパーにある量販店のようなコーナーに、家電を納める部署です。事業規模は数千億円から十数億円に減少しますが、当時、24歳の自分がパナソニックの代表として先方のバイヤーの人たちと英語で交渉できる「手触り感」が楽しかった。事業を「自分ごと」として考えられたんだと思います。ただその後、成長事業をやりたい欲が出てきて、インド事業に移っていきます。
インド事業では、デジタルカメラ商品を担当し、インド現地法人、日本の開発部門及びアジア製造部門が一体となったインド市場戦略推進プロジェクトに参画。やりがいはありましたが、どちらかというと日本とインドの橋渡し役のような位置づけだったこともあり、モヤモヤしていた自分がいました。そんな時期に、現社長の津賀一宏が7000人いた本社スタッフを150人にするという方針を打ち出し、人事部門を希望する社員を公募したのです。先ほどお話ししたように、「事業は人」だと思ってキャリアを海外営業・マーケティングから人事に振ったのです。
斎藤 感情曲線も、その時期は上向きになっていますね。
濱松 ただ、人事に移ってからもなかなかうまくいかないことがあったり、One Panasonicでもなかなかハブ機能として認知されなかったりで、少し落ちています。でも今はOne JAPANやベンチャー出向なども含めて「出すぎた杭」になったと思っているので、プラスのいちばん高いところに振れています。今後、僕のやっていることに対して何かしらの批判は出てくるかもしれません。だからこそ、ある程度好き勝手にやらせてくれている会社・上司に感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思っています。