資本主義の未来、哲学の課題

 本書を読み進めているうちに、ひとつ気になったことがあった。

 さまざまな現代的テーマを扱う第2章から第6章まで、本書には、哲学者以外の学者や批評家などもたくさん登場する。登場人物一覧を作れば、著者の博識をまざまざと見せつけられる思いを抱くことだろう。

 そんな多くの学者たちの中においても、本書に登場する「哲学者」たちは、ちゃんと一定以上の存在感を見せている。

 ところが、第4章の「資本主義」については、ジョン・ロールズやロバート・ノージック、ネグリとハート、新しいどころではハリー・フランクファートといった哲学者たちも登場するには登場するが、その存在感においては、トマ・ピケティやロバート・ライシュ、ダニ・ロドリク、ジェレミー・リフキンといった、経済学者・経済理論家のほうに圧倒的に軍配が上がる。

 経済学は今日きわめて専門性の高い学問になっているから、これは当然といえば当然かもしれない。しかし、次世代の「社会構想」を最も根本から考え、その地図を描いてきたのは、ルソー、カント、ヘーゲルらを持ち出すまでもなく、いつの時代も哲学者たちであったはずだ。そして21世紀における社会構想において、資本主義はいうまでもなく最も大事な哲学テーマだ。

 にもかかわらず、著者もいうように、哲学者による「資本主義批判は多いが、その後の社会をどうするかという議論になると、マルクスも含めて、具体的なイメージが少ない」。

 本書は、世界の哲学の最新動向を紹介しつつ、その最新哲学の“手薄”な部分もまた浮き彫りにしてくれた。

 経済学とも手を取り合った、21世紀の世界・社会構想哲学の探究・展開が求められている。

 本書を手引きとして、特に若い世代が、これから英知を結集して探究すべきテーマはいったい何なのか、じっくり考える機会を持ってもらえたらと思う。

文/苫野一徳(とまの・いっとく)
1980年生まれ。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。熊本大学准教授。著書に『「自由」はいかに可能か—社会構想のための哲学』(NHKブックス)『教育の力』(講談社現代新書)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『勉強するのは何のため?ー僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)『子どもの頃から哲学者』(大和書房)など。