世界的に増え続ける自殺者の数。日本でも2009年の自殺者は全国で3万2753人(暫定値)と、統計を取り始めた1978年以降で5番目に多かった。では、人はどのような状況に陥ったときに、生き続けるよりも今死ぬほうがよいと判断するのか――2004年、経済学の見地からそのメカニズムの解明に挑んだのが、ノーベル賞経済学者のゲーリー・ベッカー・シカゴ大学教授だった。そもそも彼の研究は、離婚、家族、麻薬、差別など従来の経済学の枠を超えた様々な分野に広がっていた。市場主義を重視するシカゴ学派の重鎮が、行き着いた境地を語った、貴重なインタビューを再掲する。(2007年2月10日号掲載)

ゲーリー・S・ベッカー
ゲーリー・S・ベッカー
(Gary S. Becker)
シカゴ大学教授(ノーベル賞経済学者)
人的資本理論の先駆者。人間を設備などと同じ資本としてとらえ、そこに教育や医療などの投資をすることによって生産能力を高めることができると主張。個人の労働力を所与のものとしてとらえてきた経済学に大きな影響を与えた。1992年にノーベル経済学賞を受賞。1930年生まれ。現在、シカゴ大学の経済学部、社会学部、ビジネススクールの教授。法曹界の権威、リチャード・ポズナー・シカゴ大学教授と共同ブログを開き、79歳の今も移民政策から性道徳、家族の問題に及ぶ広範な分野でオピニオン活動を展開している
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 メディアのインタビューでは決まって「現在の研究テーマは何か」という質問を受ける。そんなとき、私は「人的資本、平たくいえば生身の人間にまつわることです」と答える。

 経済学の存在意義は、単にドル札やコインを数えることではない。政治、社会、そしてなによりわれわれの生活はどうなっているのか、その状況を解釈し明日に役立てることにある。その際、世の中を動かしている人の行動を解明することはなににも増して必須の作業だ。

 在来の経済学者の分析と違って、私は、人の行動は必ずしも物質的な利得や自己愛だけから発生しているものではないと考えている。愛や憎しみ、羨望や嫉妬、社会からの圧力といった諸要素を取り込み、行動に移るものだ。

 離婚や麻薬、差別など、およそ在来の経済学者が取り上げてこなかったテーマを私が手がけてきた理由がそこにある。2004年には、米控訴裁判所元判事のリチャード・ポズナー現シカゴ大学教授とともに、自殺の経済学を題材に論文をまとめた。どのような状況に陥ったときに、人は生き続けるよりも今死ぬほうがよいと判断するのか。そのメカニズムの解明に挑んだ。生身の人間の行動を研究するうえでは欠かせないテーマだったと考えている。