2016年8月30日の「永六輔さんお別れ会」で一緒になった加藤に、「アラッ、いま、佐高さんの本を読んでるのよ」と言われた。「何の本?」と問い返すと「エーッ、何という本だっけ」と首をかしげる。

 加藤は私より少し年上のはずだからムリもないなと思っていると、しばらくして戻って来て「徳間さんの本よ」と言う。拙著『メディアの怪人 徳間康快』(講談社+α文庫)を読んでくれているらしい。

寒河江善秋との出会い

 原発反対などの集会でスレ違いざま、あいさつをかわして別れることが多いが、じっくり語り合ったのは『俳句界』の2009年5月号でである。

○蝉しぐれ泥長靴の人と居て

 加藤はこんな俳句をつくっている。加藤が句作をする契機は山形出身の寒河江善秋という人と知り合ったことだった。

 戦時中、青年将校だった寒河江は、どうせ戦争しても死ぬだけだから、できるだけ戦うなと言って、塹壕の中でお茶を点て、俳句の会をやるような人だった。それで、戦争が終わり、山形の農村に帰って来たのが27歳の時。それから青年農業運動を興して政治にも影響力をもったが、半分は隠遁して焼きものなどをやっている。しかし、陶芸家になるわけでもないという生き方をしていた。

 その寒河江が八王子に窯をしつらえた時、加藤と、のちに加藤の夫となる藤本敏夫が遊びに行き、以来、寒河江は2人にとって大切な父親代わりの人となった。

 藤本が学生運動で逮捕されて刑務所に入ることになった時や、獄中結婚をした時、そしてその後も、寒河江は加藤のお守り役みたいな存在だった。

 そんな寒河江を加藤の家に招いて句会をやるようになったのは、加藤に子どもが生まれて、あまり外に出られなくなったからである。

「すごくエッチな句だね」

「吐カ喇(とから)句会」(カは口へんに「葛」)と名付けたそれには、奄美大島出身の作家の安達征一郎とか、塹壕の中で一緒に俳句をやっていた瓢仙という俳人も加わっていた。

 しかし、寒河江はその句会を始めて1年くらいで亡くなってしまった。