日本経済を襲った未曾有の金融危機に飲み込まれる
──ところが、世の中はバブル崩壊後の金融危機で、銀行による貸しはがしが横行した。
2回目の「死」は突然やってきました。1998年に起きた日本リースの破綻です。元をたどれば、岩郷さん時代につくった借金が最大5億円くらいに膨らんだことが原因ですが、銀行返済はきちんとしていたのにもかかわらず、いきなり回収を迫られて、資金的にどうしようもなかったところに最後の貸し手として登場したのが日本リースでした。
銀行による貸し渋りや貸しはがしが猛威を振るっていた当時、唯一積極的に貸し出してくれた日本リースに助けられた中小企業は多かったはずです。「どうなっているんだ?」と思いながらも、ものすごくゆるい条件で貸し出してくれる日本リースは神様のような存在でした。その日本リースが突然破綻したわけです。絶体絶命のピンチでした。
──そこで2回目のリブートです。主力事業を売却することでギリギリ生き残るわけですが、事業売却というのは、当時としては画期的な手法だったのでは?
日本のITバブルは2年先で、まだ「M&A(合併・買収)」という言葉自体がそれほど普及していなかった時代です。少なくともベンチャーの世界では、事業単位で売却するという手法は聞いたことがありませんでした。当時の価値観では、社長が会社を売ることに対する抵抗感が強く、M&Aするのは負け犬のすることだといった風潮がありました。今なら「M&A=エグジット(出口)」で「おめでとう」と言われるくらいですから、隔世の感があります。
事業売却のプランを提案したのは、名門繊維メーカーの労務部長から東北のライターメーカーの事業管財人に転身し、事業を立て直した経験を持つ荻野さんです。買収による多角化を推し進めた繊維メーカー時代の経験からM&A事情に明るかったこと、企業再建の実務にくわしかったことが2回目のリブートを成功に導きました。