2020年東京オリンピック後の
グランドデザインは「江戸」にあり

 世界は、次の時代のグランドデザインを何によって描けばいいのか、その「よるべ」となるものを探し求め、それが日本の近世=江戸であることに気づいたのだ。

 江戸の解明は、一筋縄ではいかない。
 しかし、維新が過ちではなかったかという問題提起をした私としては、健全な解を得るために、維新によって全否定された時代=江戸へと時間軸を延ばさざるを得ないのである。

 その意味では、本書 は、これまでの明治維新に関する著作の更なる続編とも位置づけられるものである。

 浅田次郎氏の短編小説に『柘榴(ざくろ)坂の仇討(あだうち)』(中央公論新社)という作品がある。

 桜田門外で暗殺された大老井伊直弼(いいなおすけ)の近習(きんじゅう)を務めた彦根藩士と、襲撃した水戸脱藩浪士で明治六(1873)年時点で唯一生き残っていて車夫となっていた男の物語で、平成二十六(2014)年に映画化(松竹製作・配給)された。

 藩主の仇(あだ)を討つべく、生き残りの水戸浪士を探し続ける、まだ羽織袴(はかま)に大小を束(たば)ねた旧彦根藩士に、洋装の新政府官吏がいう。

「もう文明開化の時代だ」

 これに対して、旧彦根藩士が静かに、しかし、明瞭に応じる。

「なくしてはならぬものをなくさぬのも『文明』というものではござらぬか」

 世界が向かっている「江戸」には、将来世代が生き残る上でなくしてはならぬもののエキスが豊かに存在するという信念を支えに、「江戸システム」の解明を試みたい。