経験は最良の教師
自分の知識をアウトプットしてみよう

 新聞でも雑誌でも同じですが、駆け出しの記者にはどんどん記事を書かせます。経験がなかろうが、知識が乏しかろうが、文章がへたくそだろうが、記事にならないかもと心配になろうが関係ありません。なぜかというと、それが記者としての成長の早道であり、担当するジャンルを深く知るための最良の機会となるからです。

 同じ事柄を知るにも、読むことと書くことでは大違いです。人間が文章を読んでいるときには、それまでの経験から得てきた知識を当てはめて、書き手が伝えようとする内容を想像しながら読んでいます。

 言葉で説明されていないことも想像で隙間を埋めながら理解するために、わかったつもりになってしまうのです。「枯れ葉が舞う帰り道」という言葉だけで「寒い」「木枯らし」「夜」「コート」など勝手に想像していますよね。でも時間も季節も服装も天気も、なにも語っていないのですが。

 ところが知識のあやふやさや偏りがあると、書く、しかも客観的に正確に書くとことは不可能です。「わかったつもり」と「知っている」はまるで違うのです。

「新商品がヒットしており、それが好決算に繋がった」と書くだけでも、売れている数量を把握し、買われている理由はなにか、それが本当に儲かっているのか、事業に占める貢献度は何割くらいかといった、文面にはならないけれども記事の正確さを裏付ける事実を確認しておかないと、客観的な正確な記事は書けません。

 ほんの数行の事実を伝える記事を書くだけのためでも、何気なく見聞きしていただけの情報は曖昧さばかりで、詰めなければならないことがたくさんあるものです。