ビジネス系への挑戦──[1996年2月]
岩郷氏への依存心から脱却し、僕はビジネス系への挑戦に踏み切った。
フレックスファームが資金面で支援するカタチで、南青山を拠点とした新会社を設立し、アダルト系事業を無償で譲渡した。岩郷氏はそのオーナー経営者となり、僕自身は経営にも資本にも参加しない。僕が経営するのは、祐天寺を拠点としたビジネス系事業、つまり一般企業向けの商材のみを扱う、分社化したフレックスファームだ。
まさに背水の陣だった。覚悟のうえの再起動(リブート)だ。
この時、僕と福田についてきてくれた社員は約20名だった。経営者として心苦しかったが、彼らが満足できる給与を出すことはできなかった。僕は社員を一人ひとり呼んで、会社の現状をありのままに説明した。
「今、新しいフレックスファームの資金状況はとても苦しい。積もり積もった借金は5億円にもなってしまった。だから、本当に心苦しいけれど、みんなに支払える給与は、これだけしかないんだ。これで生活できなければ、他の仕事をあたってもらったほうがいいと思う」
「会社の窮状はよくわかってます。辞めませんよ、社長!」
厳しい状況だったにもかかわらず、多くの社員はついてきてくれた。頼りない経営者だった僕と福田を、彼らは見捨てないでくれた。
「つらい思いをさせて申し訳ない。それともうひとつ、これからはもうアダルト系の仕事はしないことに決めたんだ。だからイチからビジネス系の営業をとらなくてはいけない。今まで以上に大変な仕事になると思う」
「大丈夫ですよ。これまでに学んだテレアポの技術があります。俺たち、今日からガンガン電話して営業をかけますよ。まかせてください」
「ありがとう。心強く思うよ」
営業チームの馬場くん、保坂くんは、苦しいなかで精一杯がんばろうとしてくれていた。
「社長、コーヒー豆を買うの、もったないんでやめましょうよ」
率先してそんな提案をしてくれるかけがえのない仲間たちに、僕と福田は心から感謝した。彼らのためにも、なんとしてもこの苦境を乗り越えなければならない。
しかし、現実は厳しかった。彼らの言うテレアポとは、岩郷氏直伝の応酬話法をベースにした電話営業のことだ。早い話が、電話帳に掲載された企業に「音声応答システムのニーズはありませんでしょうか?」と片っ端から電話していくのだ。特に一般企業の場合は代表番号からはじめるわけで、そのハードルはとりわけ高い。そもそもニーズがあるのか、あったとしても関係部門までどうすればたどり着けるのか。入り口から難題が横たわっていた。だから、これまで何度もビジネス系にアプローチしては跳ね返されてきたのだ。
岩郷氏が指摘した通り、確たる勝算はなかった。残された時間で、死中に活路を見出すための技術革新を創り出せるかどうか。それがキーになるだろう。僕はそう考えていた。(つづく)
(第16回は1月23日公開予定です)
斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数