
私たちが生きる現代社会には、「やさしい=いいこと」「やさしくない=悪」という倫理観が根づいている。しかし、「常にやさしい人でいたい」と思っても、現実には難しいはずだ。なぜ、人間は「やさしい」一方で「他人を許せない」のか?SNSが簡単に炎上してしまうのはなぜなのか?ものごとをありのままとらえようと試みる「現象学」を専門とする哲学者が、「ズルいが許せない」人間の2つの本性に迫る。 ※本稿は、稲垣諭『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)の一部を抜粋・編集したものです。
他人の「タダ乗り」を許せない
身近な人間関係でもそれは起こる
私たちは、自分のやさしいが他人に悪用されることを避けたいと思うはずです。いつもいつもあなたの善意を頼ってくる人がいたら、精神的にも、肉体的にも、消耗してしまうことでしょう。自分は他人にいいように使われている、道具のようなものに成り下がって損をしているのではないかと。
社会学や心理学の調査や実験でわかっていることですが、私たちは「フリーライダー=タダ乗りする人」をとにかく嫌います。税金をちょろまかしていたり、列に横入りをしたり、補助金を不正に受け取ったりすること、つまり「フリーライド=タダ乗り」に対して、私たちは怒りや憎しみといった強いネガティヴ感情をもちます。
自分がそれをしているときはそこまで気にならないか、気づきもしないのですが、他人がそうしているのを見ると許せないのです(*1)。
これは身近な人間関係、とりわけ長く時間を共有しているパートナー関係や友人関係でも起こります。
「自分ばっかりやっている」
「なんで私だけこんな目に?」
「こっちはこんなに働いて疲れているのにどうして?」
という苦しい想いに由来する、「あの人(たち)はズルい」という感情です。
(*1)ロバート・クルツバン『だれもが偽善者になる本当の理由』(高橋洋訳、柏書房、2014