腰痛から不眠、そして入院へ
仕事への支障を認識し、完治を目指す
出版社勤務 Vさん49歳

出版社に就職し、雑誌の広告担当に
順調に仕事をこなしていたある日、腰に激痛が…

 Vさんの学生時代は1年を通して日焼けしていることが当たり前だった。「日焼けしていると女の子にモテる」と信じていたからだ。都立高校時代はテニス部、大学時代はサーフィンとスキーのサークルに所属していた。夏休みは伊豆半島の海の家。冬休みと春休みは志賀高原のスキーロッジで合宿兼アルバイトをしながらサークル仲間と過ごした。体力とネットワークづくりに自信があるVさんは早くからマスコミに就職することを決めていた。

 就職試験ではテレビ局と新聞社には落ちたものの、ファッション雑誌を数多く手がける中堅の出版社に内定が決まり、広告部に配属された。昭和から平成に変わる直前の日本は、常に雑誌の新しい情報を求めていた。日本人のデザイナーが世界のコレクションで注目されはじめた時期でもあり、次々と新しい雑誌が創刊された。

 Vさんは入社してから雑誌広告が2種類あることを知った。1つは広告代理店から版下を受け取ってそれをそのまま掲載する「純広告」と呼ばれるもの。そしてもう一方が「タイアップ広告」と呼ばれるものだ。Vさんが担当したのはタイアップ広告の進行管理だった。Vさんの会社では、タイアップ広告は雑誌編集者が製作を担当する。明らかに広告とわかる情報よりも、より読者に浸透しやすいと、ファッションメーカーや外資系の化粧品メーカーからの申し込みが殺到した。それを調整するのがVさんの仕事だった。

 しかし、入社から1年がたったある日のことだ。クライアントの広告が掲載された雑誌を5冊持ってVさんが立ち上がろうとしたとき、生まれてはじめて経験する激痛が腰を襲った。

「仕事を辞めなくてはならないかもしれない」
痛みと不安が同時に襲ってきた

 職場の近くの整形外科に駆けこんだ。痛くて医師の話もまともに聞くこともできないほどだった。レントゲンを見ながら医師が言った。

「俗にいう『ぎっくり腰』です。まずは安静にしてから湿布を貼って様子を見ましょう。運動不足も原因です。これから渡すこの紙にも書いてある『腰痛体操』を毎日してください」

 あまりの痛みに数日間は、夜も寝ることができなかった。「この痛みが永遠に続いたら会社を辞めなくてならないかも…」という不安に毎晩襲われた。痛みが強いときほどその不安は強くなった。