「平穏に暮らしていることが申し訳ない」
震災に“痛み”を感じ、不安定化する人も
東日本大震災は、改めて様々なことを考えさせてくれる。中でも、筆者が注目しているのは、避難のできない「災害弱者」の問題だ。
震災後、心が不安定になる人たちが多く見受けられた。現実に起こったこととは到底思えないような惨状を目にして、誰もが喪失感のようなものを抱いたに違いない。
「引きこもり」の心性をもつ人たちの間でも、震災後、そうした異変が起こっていた。
「池上さんは、大丈夫でしたか?」
「ご家族はいかがですか?」
「連絡をお願いします」
震災の後、そんなメールや電話がいくつも筆者の元に届いた。
こうした未曾有の災害に遭ってもなお、筆者の身の上や家族のことまで気遣ってくれる、その心根が嬉しい。
その一方で痛感したのは、「報道を見ていると、まったく眠れない」などと訴える当事者の人たちが、多かったことである。
たまたま震災翌日の土曜日に、当事者の人たちと都心で飲み会を予定していたのだが、その日は朝から電車が復旧したのを見て、予定通りに決行したところ、半分近くが欠席した。やはり「眠れなかった」「具合が悪い」などと訴える人が多く、相当なショックを受けた様子なのである。
「報道を見ていると、涙が止まらない」「つらい」などと思いを明かす人もいた。
「現実とは思えない惨状から、自分たちが平穏に暮らしているのが、申し訳ない」「こちらにも何らかの負担があったほうが気持ちがラク」というのである。
話を聞いていると、まるで自分の大事な身体の一部がもぎ取られてしまったかのような“痛み”を感じていることが、ジンと伝わってくる。