「脱成長」を唱える
日本のガラパゴス経済メディア
アベノミクスの金融政策の根幹をなしているのが、金融緩和によって一定のマイルドなインフレをキープし、経済を成長させていくリフレーション(リフレ: Reflation)という考え方である。
日本ではリフレ派などという呼び名もあるが、これは一定の派閥というよりは、世界の標準的な経済学の基本理論をもとにした「当たり前の政策」と考えるほうが正確だ。日銀の黒田総裁も「何か特別な奇策を打っている」というよりは、「基本的なフレームのなかで最善策を採用している」という感覚で仕事をしているはずだ。
それにもかかわらず日本のメディアは、アベノミクスが「危険な賭け」であるかのような報道をいまだに続けている。この背後には、日本の経済学界特有の「ねじれ」があるのだが、学者ではない私がこの点にこれ以上踏み入るのはやめておこう。ただ、世界から見れば「トンデモ」と呼ばざるを得ないような「独自進化を遂げた理論」を振りかざす「有識者たち」が日本の経済論壇に大勢いるのはたしかである。
彼らが象牙の塔のなかに籠っているのであれば問題はない。深刻なのは、そうしたガラパゴス経済学者のレクチャーをまことしやかに拡散するガラパゴス経済メディアの存在である。彼らは「脱成長」だとか「デフレ容認」を人々に説き、日本社会の閉塞感を加速させることに加担している。その結果が「自殺者数や失業率の高止まり」であったという事実は顧みようとしない。
メディアに洗脳された人たちは、「もはや日本経済は成長フェーズではない。もう右肩上がりを目指す時代は終わったんだ」などと訳知り顔で語っている。そう語ることが、何か身の丈をわきまえた、知的な態度だとされるような風潮すらある。しかし、そもそもその思想を植えつけて回っている当事者たちが、高い給料をもらっている大学教授や省庁の役人、金融機関・マスコミに勤務する人間たちであるということには思いが至っていない。
人々がしかるべき仕事に就く機会が与えられ、生活に困って自殺したりしない「まともな国」を目指すのであれば、過去の叡智が解明してきたリフレ政策に勝るものはない。第二次安倍政権が高い支持率を保っているのは、政治的なイデオロギー云々以前に、そうした「当たり前のこと」を日銀と歩調を合わせながら実行しているからだろう。