議論の可否と関係ない「正論」で
誤った判断を導く罠
注意すべき点として、インパール作戦を熱望する牟田口中将や「大和」の沖縄特攻の主張には、小さな「正論」が含まれていることです。
(1)指揮官が作戦への積極性を持つ
(2)海軍側が、沖縄の上陸地点に乗り上げて陸兵になる強い覚悟
このような、ある種「小さな正論」があることで、軍事的合理性や勝算、補給などの準備ができるかどうかなど、本来、作戦可否を決定する正しい比率を歪める悪影響を及ぼしているのです。
同じようなことは、実は日本の組織・社会では頻繁に起こっています。不祥事の隠ぺいがニュースとなるとき、「特殊な空気に包まれてしまった」という述懐がよく行われますが、この場合、「空気」は何かしらの説得的な効果を持って、不祥事を公表するより「黙っておいたほうがいい」と集団に思わせたということになります。本来、適切に行われるべき議論を封殺するのは、空気の得意技というところでしょうか。
私たち日本人は、ある一つの事象を見て「全体像を類推する」ということをよく行います。座敷に上がる際に、脱いだ靴の揃え方で相手の性格を断じることもあるかもしれません。逆に言えば、身なりがきちんとしていることで、相手の行動を詳しく確認せずに「信頼できる人物」と思い込んでしまうこともあるでしょう。
悪意を持ってこのような「歪んだ判断」を誘導するために、例えば靴の揃え方が悪いだけで、営業マンとして無能で出世させてはいけない人間だと断じることも可能です。
空気の醸成とは、本来可否の判断に「関係のない正論」を持ち出して、判断基準を歪めることで間違った流れを生み出すことです。その影響は、以下の2つの形で及ぶことが多いようです。
(1)本来「それとこれとは話が別」という指摘を拒否する
(2)一点の正論のみで、問題全体に疑問を持たせず染め抜いてしまう
悪意を伴った空気の醸成は、大東亜戦争のみではなく、現在の日本社会でも頻繁に見られる現象であり、正しい議論と判断を妨げるこの国の大きな足かせとなっています。一度皆さんも周囲で聞く議論をこの視点から眺めてみると、あまりの不条理さに驚くことになるのではないでしょうか。