私たちは毎日、あたり前のように三回の食事をとっています。それはあまりにあたり前すぎて、私たちがその意味や重要性を考えることはほとんどありませんが、できればおいしくて、安全なものをゆっくり食べたいということは、誰もが思っているはずです。そして幸いなことに、これまでの数十年は、日本ではそれがほぼ可能な状況だったと言えるでしょう。

 しかし、人類の長い歴史を振り返ってみれば、それはそんなにあたり前のことではありません。氷河期には当然のことながら圧倒的に食料は不足していましたし、戦争中は食べたいものも食べられない状況でした。人類の歴史を24時間に置き換えると、飢えの問題から解放されていた時間は1秒に満たないと言われています。

 つい最近では、東電原発事故による野菜や魚、そして水の汚染には、誰もが神経を尖らせていることと思います。そう考えれば、私たち人類の「食」はそんなに「あたり前」のことではないことがわかります。

 さて、私たちは生きものである以上、食べなくては死んでしまいます。食べることで、生きていくためのエネルギーを得る必要があるのです。

 ただ、それは車がガソリンで動いたり、ロボットが電池で動いたりするのとは少し違います。たしかにカロリー(熱量)も必要です。しかし生きものは食べ物を食べることで、食べ物のもつエネルギーのみならず、食べ物を構成する成分を取り込み、自分の身体の成分とするからです。まさに、食べ物は、血となり肉となるのです。

生き物の命が
人間の命になるシステム

 その食べ物ですが、私たち人間にとっての食べ物とはほとんどすべて、元は他の生きものです。肉や魚はもちろん、米も野菜も、すべて他の生きもの、つまりは命です。私たちは命でつながっているのです。

 命のつながりの最初はいつも、植物です。太陽の光を受けた植物は、そのエネルギーを光合成で糖に変えます。その植物を動物が食べると、糖やタンパク質が分解され、動物の身体の中で燃やされます。物質の中に閉じこめられていたエネルギーが再び熱として解放され、それが動物の身体を動かすのです。