大好きか、大嫌いか。熱狂的に支持するか、そっぽを向くか。現代の日本社会は、あまりにも白か黒かをはっきりさせようと急ぎ過ぎて、振れ幅が大きくなっています。以前なら内閣支持率が3割から4割ぐらいの微妙な水準のまま、国民は不平や不満を言いながらも、白黒つけずにジリジリと見守るという状態がありました。しかし、いまは支持か不支持か、とちらかの極に振れると、一気にその評価が決まってしまいます。
こうした傾向が強まっている日本社会は、どちらに転ぶかわからないけれども、待つしかないという状況に耐えられません。原発事故の問題で言えば、爆発という最悪の事態に陥らない一方で、一気に解決まで進まないという膠着状態が延々と続いています。しかもいつこの膠着状態が動き出すかすらわからない。これでは不安で仕方がないのです。
「目に見えない」「いつ来るかわからない」「いつ終わるかわからない」不気味な状態の行く末を、冷静に見守る耐性のようなものが弱くなっています。今回の原発事故は、現代の日本社会にとって最も苦手な部分に突き刺さる問題になっていて、それが日本人のこころに大きなダメージを与えているのです。
原発事故は、
誰のこころにもある漠然とした恐怖を顕在化した
会社で自分だけいじめられているのではないか。マンションのなかで私だけが嫌われているかもしれない。明確に意識されていないにしても、人間は誰もが何らかの不安や恐怖を抱えているものです。
特別の原因もないのに、そうした考えを増幅させてしまうのが「被害妄想」です。これがエスカレートすると、すべてのものに毒が入っているのではないかと疑う「被毒妄想」も生まれてしまいます。
かつて、最先端のテクノロジーが世の中に出現したとき、自分の妄想を結びつけて考える人が数多くいました、最初はレントゲンです。レントゲンの出現は、医学を劇的に進歩させる一方で、得体の知れない技術によって蝕まれている、レントゲンによって家の中が見られているという被害妄想を抱いた人が増えたといいます。
ラジオの登場は、自分のことが全国の人に実況されているという妄想を生み、携帯電話などの普及によって、電磁波で脳が侵されるという妄想を生み出しました。新しいテクノロジーに遭遇したときに、目に見えない、自分にはコントロールできないという不安から被害妄想を持ってしまう人は、いつの時代にもいました。
有害な物質が大気中に溢れている。飲み水には放射性物質が入っている。今回の原発事故によって、こうした「被毒妄想」に代表される誰もが潜在的に持っている根源的な恐怖が増幅されてしまったのかもしれません。実際に、原発事故が起こってから頭が痛い、吐き気がするといって病院に駆け込む人が増えています。