東大卒→年商100億円のCEO→インドで仏門に…なぜ僧侶はカネと名声を捨てたのか?写真はイメージです Photo:PIXTA

年商100億円超のIT企業でCEOを務め、誰もが羨む社会的地位を築いていた小野裕史氏。しかし、彼は2022年10月にすべてのキャリアを捨ててインドで得度を受け、僧侶・小野龍光へと生まれ変わった。そんな小野氏の過去に、北海道で僻地医療に携わる精神科医・香山リカ氏が迫る。※本稿は、小野龍光、香山リカ『捨てる生き方』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。

能力主義の現代に増えている
自分自身を卑下する人々

香山 今の世の中が能力主義と言われて久しいですけど、才能を持って活躍している人は「あの人はスペックが高い」などと言われ、周囲の評価も高いわけです。龍光さんもおそらくそのなかの一人だったと思いますが、一方で、そういうものを見つけられなかったり、才能を磨くチャンスがない人もいて、「自分には何の才能もない」「何の取り柄もない」と、だからこんな生活に甘んじているんだとネガティブな気持ちをためている人もいる。

 それはその人のせいだけではなくて、社会の格差とも関係していて、自分にはこういう能力があったのにそれを伸ばすチャンスもなかったという不公平感もあるわけです。長年自分のなかにあるそうした鬱々としたものを取り払うのは、なかなか難しいと思うんですが、龍光さんから、何かいいアドバイスはありますか。

小野 僕がいろいろな方のご相談を受けさせていただくなかで、自身の現状や過去を否定的に受け取り苦しんでいらっしゃる方にまず最初に伝えさせていただくのは「大丈夫ですよ」という言葉なんです。これは口先だけで言うのではなく、僕としては本当にそう感じているからなのです。

「なぜならば」と続くのは、少なくともあなたは電気が使えてインターネットも使えて、災害や紛争などで食べるものに困り腹を空かせているわけでもなく、寒空の下で雨に濡れているわけでもなく、こうしてキーボードを打てるだけの、スマホをいじれるだけの健康もあって、すごいことじゃないですか、と、本気で僕は思っているんです。なので、そう伝えさせていただきます。

 結局は今、目の前の現実をどう解釈するかで、自身の感情の生じ方も変わるものだと思うのです。不幸に感じる状況でも、見方によっては満たされている面が見つかり、感謝が生まれ、「じゃあ頑張ってみよう」と自分の成長に向かうエネルギーが生まれてくることもあると思うのです。まずは「大丈夫ですよ」というところから、ご自身を認めて安心していただいたうえで、少しでも前を向いていただきたいという願いを込めて伝えさせていただきます。