Photo by Yoshihisa Wada

 住宅の水回り配管などの設備設計とコンサルティングを主業とするエプコは、昨今の厳しい環境下で2ケタ成長を続ける希有な企業だ。「時代がわれわれを追いかけてきた」と社長の岩崎辰之は胸を張る。

 苦学して高校を卒業後、東芝に就職した岩崎は、20歳のとき「生活のため」、町の水道工事業者に転職した。“3K職場”の水道工事業は、生涯賃金はともかく若いうちの収入はよかったからである。「貧しい家庭で育ったゆえのハングリー精神」が根底にあったという。

 仕事は配管など水回り設備の設計図面作成だったが、いざ始めてみると、旧態依然とした業界の実情に驚いた。

 当時、水回り工事に関しては、法律で市町村ごとに使える材料、施工できる業者が定められていた。工事の主導権は施工業者と部材の小売り業者が握り、高コストな構造がまかり通っていた。

 そのうえ、給水給湯は厚生省(現厚生労働省)、排水は建設省(現国土交通省)の管轄という縦割り行政で、工事にはそれぞれに届け出が必要だった。しかも正・副・控えの3枚の図面を作らねばならなかった。

 東芝でCAD(コンピュータ支援設計)を使っていた岩崎は、その導入を目論んだ。勤め先は、社長1人に職人2人という規模だが、CADシステムは、月商と同じ200万円ほどした。

 渋る社長を説き伏せて導入に成功すると、業務は格段にスピードアップした。受注も増え、4年後には職人30人、月商3000万円になった。

規制緩和で大躍進
“脅し”にも屈せず業界の構造を変革

「商売のおもしろみ」を覚えた岩崎だったが、これ以上の成長を望まない社長との「経営方針の違い」から辞職、独立に至る。24歳、マンションの一室にパソコン1台でのスタートだった。

 住宅建設は右肩上がりの時代でコンピュータを使った図面作成・申請代行は地元業者に引く手あまただったが、岩崎はあるアイディアを温めていた。水回りの“工業化”である。「設備を標準化してパーツを工場で生産し、プラモデルのように現場で組み立てれば、もっと簡単に工事ができる」。このアイディアが、大手住宅会社を引きつけた。

 足かせとなったのは、前述の規制だった。転機は、独立から10年後に訪れた。規制緩和で、水回り工事の材料が原則自由化、業者も登録制になったのだ。

 もちろん、事は簡単ではない。工業化には、それに適した材料・部材を調達・流通する仕組みを一から構築しなければならなかった。そこで大手材料メーカーにアイディアを“売った”。コンサルティング料を得ながら部材を開発してもらうことに成功したのである。