エコノミストのフェルドマンさんと人気ブロガー・ちきりんさんの対談、今回のテーマは医療制度です。昨年、94歳の母親を亡くされたフェルドマンさん。看取るプロセスで直面した、ごく私的な経験をお話ししてくださいました。そのお話から伺える、日本の医療の問題点とは? (構成/崎谷実穂 写真/疋田千里)

日本の医療の問題点を教えてくれる<br />フェルドマン博士の個人的な体験ロバート・アラン・フェルドマン
1970年、AFS交換留学生として初来日。76年、イエール大学で経済学、日本研究の学士号を取得。84年、マサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。国際通貨基金(IMF)、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券を経て、98年モルガン・スタンレー証券会社に入社(現・モルガン・スタンレーMUFG証券)。現在、同社のシニアアドバイザー。著作に『フェルドマン博士の 日本経済最新講義』(文藝春秋)などがある。

医療が公共財だというのは、一種のイデオロギー

ちきりん 技術革新によって今後の生産性が大幅に上がりそうな分野として、医療と教育という2つの分野があります。でもこう言うと、「医療と教育は産業ではない」と反論されるんです。社会インフラとして誰でも等しく機会が与えられるべきものだから、生産性という概念を持ち込むのはよくない、という意見があって……。

ロバート・アラン・フェルドマン(以下、フェルドマン) 生産性を持ち込むべきか否かという議論は、その産業が公共財かどうかを考えればよいでしょう。たとえば、国防は議論の対象外でいいですよね。国防は商品ではなく、消費者1人ひとりが「この分だけほしい」と買うことはできない。でも、医療と教育はさまざまな供給者がいて、選択肢があります。

ちきりん 多彩なニーズがあり、マーケットが成立しているということですね。

フェルドマン 医療が公共財だというのは、一種のイデオロギーですね。日本の医療の問題は、ヘルスケアとシックケアが分かれていないことだと私は考えています。そして現状、日本にヘルスケアを提供する医療機関はほぼないですよね。

ちきりん ヘルスをケアする、つまり、健康を維持するための病院がないってことですね。

フェルドマン もちろん、医師は自分の患者を治そうとしていると思いますよ。でも、産業そのものとしては治すことを一番の目的にはしていない。日本の病院は本当にすばらしいです。医療技術も高い。でも、健康を守るよりも「病気ですね」と診断したほうが、病院は得をするんです。医療制度がそうなっているので。国民が元気になったら、医療産業にとっては困る面もあります。

ちきりん 医療関係者の意識がそうだとは思いませんが、病気の人が多いほうが産業規模として大きくなるというのはそのとおりです。

フェルドマン だから小中規模の病院は、基本的にヘルスケアを提供するという役割を担っていくべきだと思うんですよね。そうしたら、国民も健康になり、結果的にシックケアも減ります。

ちきりん 予防医療に注力する医療機関を増やすということですね。病気になってから高額の医療費をかけるより、そのほうが圧倒的に安く済むし、国民もハッピーですよね。あと、医師のなかでも開業医の医師会は政治力が強く、病院の勤務医は激務で疲弊している人も多い。そういったひずみも、医療業界全体で制度改革を進めることの妨げになっていると感じます。

フェルドマン それも制度の問題ですよね。現状では、医療費は診療報酬点数によって決められていて、健康保険に入っている人は3割負担、70歳以上になると一般的には2割になります。2014年までに70歳になっていた人は1割負担です。1、2割しか負担しなくていいなら、ちょっとしたことでも病院に行ったほうがいいと考えますよね。開業医が儲けやすい制度になっている。ビジネスとしてはよくわかりますよ。ですから、そもそもの制度設計をする人がどの方向を向いているのか、という問題なんです。

ちきりん 医療関係者はみんな目の前の仕事に忙しく、医療制度、全体の設計を考えたり変えたりするためのリーダーシップがなかなかとれない。じゃあ厚生労働省がそれをできるかというと、こちらも選挙のためには高齢者が極めて大事だという政治家の意向に振り回される。どの分野も同じですが、最後は選挙制度の問題に行きついてしまう気がします。

日本の医療の問題点を教えてくれる<br />フェルドマン博士の個人的な体験

医療改革を難しくする倫理の問題

フェルドマン 医療制度には、倫理の問題もつきまといます。これも、医療改革を難しくしている要因の1つですね。昨年の12月、6年ほど前から認知症を患っていた母が94歳で他界しました。この母のケースでも、倫理について考えさせられることがあったんです。亡くなる2ヵ月前に、医師から母のペースメーカーの電池が切れそうなので、手術で取り替えるかどうするか、という相談がありました。取り替えれば電池は10年もつそうです。でももう高齢ですし、手術中に亡くなるリスクもある。

ちきりん それは難しい判断ですね。ペースメーカーの電池が切れれば、当然、命に関わるわけだから、医師としては「取り替えましょう」というのかもしれないけど……。私が94歳の患者本人だったら「もういいです」って言いたくなる。

フェルドマン そうなんです。認知症の状態でこのまま10年生きるというのは、本人の生活の質としてどうなのだろう、とも思いました。しかもその時点で67歳の姉が、これから10年母親の面倒を見続けるのかという問題もありました。そこで、姉弟4人でEメール会議、場合によっては電話会議をして、電池を取り替えるかどうかを議論したんです。結果としては、全員一致で取り替えないということに決めました。私の出身であるテネシー州の法律だと、死を早めない限りはそれでいいということでした。でも、これが日本だったらどうだろう、と考えたんです。法律はともかく、打つ手があるのであれば、打たなければいけないという意見が多数なのではないでしょうか。

ちきりん 日本だと法律的にも取り替えないといけないのかな? ただ、そういう方の手術をするには家族から同意書にサインが必要なので、勝手に手術されることはないですよね?

フェルドマン とされていますけど、応急処置的に胃ろうを入れられたりすることはありますよね。

ちきりん たしかに救急措置だと「命を助けるためにできることはすべてやる」という形になりますね。しかも患者さんに身寄りがなくて、ペースメーカーの電池を取り替えないと死んでしまう、でも、その判断をできる身内は誰もいない、という状態だったら……病院の判断で取り替えることになるのかな? 
 こうした終末期医療に関わる問題は、少子高齢化の進展によって今後さらに大きな問題になると思うんです。フェルドマンさんのお母様は、お子さんが複数いて家族会議で決められましたけど、ひとりっ子であれば自分ひとりで親の生死について決断しなければならない。最近は未婚率も高いため、患者さんに子どもがいなければ、何十年も会っていなかった親戚の子どもに連絡が来るかもしれません。そうなったとき、「もう死んでもいいから電池は取り替えないでください」と言うのは、すごく勇気のいることだと思います。

日本の医療の問題点を教えてくれる<br />フェルドマン博士の個人的な体験

イギリスやフランスの高齢者医療の考え方

フェルドマン そして、その高齢者を延命するための治療は、誰のお金でおこなわれるのでしょうか。イギリスには、医療従事者向けの診療ガイドラインを策定する国立医療技術評価機構、通称NICEという機関があり、症状に対しておこなうべき治療手法や、それに対して報酬が支払われるか否かが示されています。かなり厳しい基準のようです。
 やはり、国のお金を高齢者の医療にあてすぎると、他にやるべきことができなくなりますからね。そこは個人負担でお願いします、ということなんです。そして国民もそれを受け入れている。人間はそもそも死ぬもので、それは神様が決めたのです。

ちきりん ある程度高齢になれば、治療費が払えず延命治療がおこなえなくても、それがその人の天命であったと考えるんですね。フェルドマンさんの本にも、フランスで2015年に「深眠法」という、死を間近にした患者に延命措置をおこなわないという法律が下院を通過したと載っていました。ヨーロッパ各国では安楽死や尊厳死についても議論が進んでいますが、日本では議論をすることすらはばかられるという雰囲気があります。これはなぜなのでしょう。

フェルドマン よくわかりませんが……自分のことを自分で決める、という自己決定の文化は西洋に強いと思いますね。

ちきりん あー、そこが違うんですね。だとすると……日本人は、自分の人生を誰が決めるべきだと思っているのでしょう。てか、日本人の私がこんなことをフェルドマンさんに聞くのも変なんですけど(笑)。

フェルドマン グループで決める、という考え方は強いと思います。ただ、そのグループが小さくなってきている。共同体が解体し、家族も小さくなってきていますので。

ちきりん グループで決める、か。大事なことは政府や会社、そして、地域や家族で決めていくべきものだと。そういえば昔の結婚なら、村長や親が勝手に相手を決めたりしてましたよね。
 ただ、世の中も変わり、自分の所属するグループに人生の大事なことを相談して決めていく、もしくは決めてもらう、というのも難しくなっています。これからはやっぱり日本人も、「自分の人生は自分で決めていく」という自己決定の世界に少しずつ慣れていかないといけないのでしょう。

※この対談は全4回の連載です。 【第1回】 【第2回】 【第3回】 【第4回】