何がわかったんだろうか、怪訝な顔の岩本をよそに、青年が警官となにやら中国語で交渉をはじめた。青年の主張に最初は両手を広げて拒むように声を荒げていた警官も、話が進むうちに威勢がなくなってきている。

 唐突に振り返った青年が、岩本に問い質した。

「そのカメラに入っているフィルムには、何か大切なものを写していますか?」

「いいえ、このあたりの風景を何枚か写しただけですが……」

「それでは、カメラからフィルムを抜いて彼に渡してください。それでケリがつきます」

 仕方なく岩本がフィルムを抜いて手渡すと、警官は舌打ちをしながら去って行った。その顛末を見終えた周りの野次馬たちも、下らない三文芝居だったと不満気に散って行く。

「いったいどうなったんですか?」

 岩本の問いに、青年は苦笑いをしながら答えた。

「こちらの先生は、上海市政府直轄の上海市木材進出口公司からの招きで来たんだ。カメラを差し出すのは構わないが、あなたの所属と氏名を書いた預り証を出してくれ。あとで市政府に事情を説明して引き取りに行くと言ったんですよ。すると、彼もカメラを諦めたんですが、問題は周りの野次馬の目だ。彼にも面子がありますから、それじゃあフィルムだけ差し出せ、ということになった次第です……。それでは」

 説明を終えた青年は、顎を引いて会釈すると、そのまま立ち去ろうとした。

 岩本が慌てて呼び止める。

「待ってください、助けていただいたお礼がしたい」

「そんなことはお気になさらず、気をつけて上海を楽しんでください」

 そっけない青年をなおも引き止めて、岩本は名刺を押し付けるように差し出した。

「私は、三栄木材の岩村栄三と申します。失礼ですが、あなたは?」

 50台半ばに達し壮年といえる岩本だが、経営者という膜も脱いで、息子と変わらないような年頃の青年に、努めて丁重に接した。それは、助けてもらったという負い目だけではなく、その見事な対処能力と落ち着いた態度への、年齢を超えた尊敬でもあった。