つまりこの句、当時の中国人が読めば、いかに彼が怠惰な自由人生活を謳歌しているかを理解するものだったわけです。全句(「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少」)を私なりに意訳すれば、

「もう朝か。花も散る晩春だから、途中、寒さで目が覚めることもなかったけれど、昨晩はずいぶん風が強くてすぐ寝付けなかったし、日の出もずいぶん早いから、やっぱり睡眠時間が足りないな。外の花がどれだけ散ったか気になるけれど、鳥のさえずりを楽しみながら、もうしばらく布団の中でぬくぬくしていよう」

 こんな感じです(たぶん)。

「暁鶏(ぎょうけい)」という言葉があります。それは、闇夜を切り裂く一番鶏の声のこと。まだ空は暗いのに、もうすぐ朝が来るよと鳴く希望の光が暁鶏=暁の鶏なのです。

 しかし孟浩然はその「暁」を知りません。知りたくもないのです。自分を拒絶した「暁」の世界、役人の世界を、今度は詩歌で彼が拒絶しました。そんなもの、私は知らぬ、と。

 春晩絶句『春暁』は、孟浩然の才能とその反骨心を1300年の間、伝え続けています。ささやかに、そして美しく。

参考情報・サイト
・「「春眠暁を覚えず」をめぐって」吉海直人(同志社女子大学HP、2015.04.15)
・「春眠暁を覚えず。眠りの季節、春と気温の関係」(お天気.com)
・「中国近代における時間意識形成についての一考察」阿川修三(文教大学HP、2002.02)
・「中国北京市の天気」(AccuWeather)
・『「暁」の謎を解く』小林賢章(角川選書、2013.03.22)

(K.I.T.虎ノ門大学院 教授 三谷宏治)

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