復習:「天高く 馬肥ゆる秋」の本質は?
やっと9月。
秋のことわざといえばなんといっても「天高く 馬肥ゆる秋」ですよね。その意味は「食べ過ぎ注意」……ではありません。第71講『雲って何だろう~身近な「なぜ」を探究する[1]』で詳しく解説したとおり、気象的錯覚と軍事的警句の複合でした。
まず「馬肥ゆる秋」は軍事的警句でした。
「秋になると肥えた馬や収穫物を狙って、北方から匈奴が攻めてくるぞ!」という。中国 前漢(*1)の時代、つまり2100年前の言葉(*2)です。
そして、「天高く」は一種の錯覚でした。
秋は必ずしも晴天率は高くありません。でも、巻雲(すじ雲)や巻積雲(うろこ雲、いわし雲、さば雲)、高積雲(ひつじ雲)(*3)など高層(5000m以上)の雲が発達します。それが「空が高い」という錯覚を生むのです。空の高さは、空が決めるのではなく、雲が決めていたのです。
さて今回は他の4つの「秋のことわざ・慣用句」を吟味してみましょう。
●暑さ寒さも彼岸まで
●秋の日はつるべ落とし
●女心と秋の空
●一葉知秋
なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」なのか?
ここでの「彼岸」は、春分の日と秋分の日ということにします(*4)。2015年だと3月21日と9月23日がそれに当たります。昼夜の時間がほぼ同じ日です。
暑さ寒さも彼岸まで、の意味は「彼岸までには過ごしやすい気温になる」「残暑は治まり、余寒は和らぐ」というので、確かめてみましょう。
東京での過去30年間の「日別気温」で、見てみます。
春彼岸の頃、われわれは「暖かく過ごしやすくなった」と感じます。でもそれは最高気温がようやく14℃に達したくらいで、最低気温は5℃に過ぎません。
秋彼岸の頃、われわれは「もう涼しくなって暑くはない」と感じます。最高気温が25℃で春より10℃以上も高く、最低気温は18℃で春の最高気温より高いというのに。
真の「体感」温度は(気温や湿度・風速だけでなく)、「それまでの慣れ」からも来るということなのでしょう。体感とは面白いものです。
*1 劉邦が項羽との戦いに勝って、BC206年に建国した。7代武帝のとき全盛、匈奴を打倒した。8年に滅ぶが光武帝によって25年、再興。これを後漢と呼ぶ。
*2 詩にしたのは、初唐の詩人 杜 審言(と しんげん、645~708)。杜甫の祖父。
*3 高積雲は2000~7000メートル。
*4 実際には春分の日、秋分の日を中日とした前後7日間。