やや自慢になってしまうかもしれないが、私は、海外のメディアで中国のパソコン大手レノボ(中国語の社名は聯想)、家電メーカーのハイアールを最も早く取り上げた人間の一人だと自負している。1997、98年頃のレノボはまだ現在の社名ができていなかった。ハイアールも日本でも海外のほかの国でも無名だった。一方、中国の市場を見渡すと、日本家電製品は全盛期が終わりに近づいてはいたものの、まだまだ侮れない存在だった。
しかし、私はこの2つの会社がいずれは大きく成功し、中国でライバルの日系企業を圧倒するほどに成長するだろうと、この2社を中国企業のスター選手として雑誌、テレビ、新聞などに取り上げた。わずか数年後、その予想が現実となった。レノボとハイアールは中国企業の最先頭を走る会社となり、海外に果敢に進出している。
後に多くの日本人から「どうしてかなり早い時点でこの2社が勝ち馬になると予測できたのか」と聞かれた。実は、私の秘密はたいしたことではない。企業の現場に行き、時間をかけてその企業を観察していたら、自然とその結論にたどり着いたのだ。
だが、その予測が当たったことは私にとって大きな励みになった。次の「レノボ」と「ハイアール」を原石段階から掘り起こしたくなる。
2004年、それまでの数年間の観察をもとに、中国の新興自動車メーカーと呼ばれる奇瑞、長城汽車、哈飛、華晨を相次いで取材した。
そのうち吉利だけは、02年に台州にある工場を取材したことがある。当時、工場の入口まで迎えに来た同社の軽自動車に、体を押し込むようにしてかろうじて乗り込んだことが今でも記憶に鮮明に残っている。とても窮屈だった。生産現場を見ても、日本の自動車工場の組み立て製造ラインを見慣れた目には、かなりぎこちなさがあった。