見下げ果てたヨーロッパの大富豪
もっと、大きなビジネスの話もしましょう。
かつて、ヨーロッパのある巨大メーカーがアジアに進出して、私の会社と正面からぶつかったことがあります。過当競争になって双方とも深く傷ついたため、不毛な争いを続けるよりも合併を検討しようという話になりました。そして、トップ会談を行うために、まずは私がパリに飛んだのです。
交渉相手は、創業以来、約200年の歴史を誇るヨーロッパを代表するブランドのオーナー。初めてお会いするのですから、私は名刺を差し出しましたが、彼は「名刺は持たない」と言って出しませんでした。それはそれで構いません。それよりも、「自分はヨーロッパ諸国では有名だから、名刺なんか持つ必要がないんだよ」と言うので、「すごいことを言うな」と感心したことをよく覚えています。
ただし、アジアでの売上は、40~50%を占めている私の会社がトップシェア。だから、合併する場合には、こちらが買収する形になります。そこで、オーナーとの儀礼的な挨拶を済ませた私は、実務を取り仕切るCEOに意向を確認。すると、「それは覚悟している」と言うので、実務レベルの話を詰めていきました。
ところが、CEOの了解を取り付けた内容について、オーナーが文句をつけ始めました。どうも話がかみ合わない。このままでは埒(らち)が明かないので、今度は、彼らにマレーシアに来てもらって、オーナーと幹部と同席してもらって再度話し合いをしました。
それではっきりしたのは、オーナーの主張が、これまで積み上げてきた内容とはまったく違うストーリーだということ。だから、私は彼らの真意を確認すべくあらゆる角度から質問をしました。すると、彼らはコロコロと主張を変える。それでは話にならない。結局、落としどころを見つけられませんでした。
その後も、何度も交渉を繰り返しましたが、同じことの繰り返し。私の部下たちは、ついに「あのオーナーは、ムービング・ターゲットだ」と不信感をあらわにし始めました。
ムービング・ターゲットとは侮蔑(ぶべつ)を含む言葉です。本来、交渉において最終決定者であるターゲットの意思は動かないものですが、あのオーナーはコロコロと動く。交渉とは、一つひとつアグリーメントを積み重ねていくものですが、ムービング・ターゲットが相手ではそれができない。彼の主張が変わるたびに、こちらは改めて説明するという繰り返し。迷惑したのは、私たちだけではない。相手のCEOやCFOも困り果てていました。「信頼できない人物」というレッテルを貼らざるを得ないわけです。
そこで、私はこの話は延期すると通告しました。我慢して付き合ってきましたが、これ以上バカバカしい話には付き合っていられないと明言したのです。すると、オーナーは慌てて「俺は交渉から降りるから、実務同士でやれ」と返答。むこうには延期できない理由があったのです。だから、私は「実務者協議で決定したことは、絶対に変えない」ということを条件に許諾(きょだく)。再度、交渉のテーブルにつきました。
ところが、あきれたことに、オーナーはまたしても実務者協議での決定事項に同意できないと言い出しました。おそらく、自分の会社が吸収されることを、彼のプライドがどうしても認められなかったのでしょう。しかし、どんなに有名であろうと、どんなにお金持ちであろうと、こんな交渉をするのでは、ビジネスマンとしては見下げ果てた存在です。
だから、もう私たちは相手にするのをやめました。毅然(きぜん)と交渉決裂を通告して、アジア市場において徹底的に戦うと宣言したのです。