「ムラタさん、『役に立つ日記』って本は?」
先週の金曜日、編集局内で私以外唯一の20代であり、私と同じルートでやってきた先輩H畑と飲んでいた際、いい年の男二人でなぜか「最近面白かったマンガ」トークを深夜まで繰り広げました。そのときも、H畑の口から出てくる作品名に全くついていけず、週末にまた新しいマンガを買わざるを得ない羽目になってしまいました。そもそもH畑の視点がマニアック過ぎるという意見もあります。「9巻で○○が死んだやろ?」と脇役の名を告げられても……。
この件に若干ながら関係あるかないか、先週狭い部屋にさらにもうひとつ書棚を購入し、その話を友人にしたら「ほとんど読んでないんだし、捨てればいいんじゃない?」という回答が。正論ではありますが、本だけはできるだけ捨てず本棚に並べていたいという気持ちがあって、いまいち腑に落ちないところがありました。
このモヤモヤした気持ちを誰かがうまく表現していたはず……としばらく考えていたら、今これを書きながら思い出すことができました。日記を書いて初めて「良かった」と思えた瞬間です。本当に初めて。
内田樹さんが『街場のメディア論』で本棚の機能について言及され、大変納得した文章がありましたので、この場で引用させてください。
僕たちは「今読みたい本」を買うわけではありません。そうではなくて「いずれ読まねばならぬ本」を買うのです。それらの「いずれ読まねばならぬ本」を「読みたい」と実感し、「読める」だけのリテラシーを備えた、そんな「十分に知性的、情緒的に成熟を果たした自分」にいつかはなりたいという欲望が僕たちをある種の書物を書棚に配架する行動へ向かわせるのです。
映画やアニメのコレクション以上に、本好きには「積ん読」する方が非常に多いのではないかと思います。あるときになんとなく面白そうと感じたものを購入する。そして気が向いたときまでとっておいて、いつでも引き出せる知識としておく。それが正しいのではないか、と。もしかすると完全に曲解しているかもしれませんが、そういうふうに捉えることにします。
「うん、そうだ。本なんてそういうものだ」と納得しかけたとき、ふと自分が作った本が「買われたもののずっと読まれずに棚に置かれっぱなし」という状況が脳裏に浮かびました。……。ええと、やっぱり一度は読もう、読む努力をしよう! いや、してください! お願いします……。