「許容範囲が広がり、ここまで受け入れられているのか」と驚いた。いずれも少数事例かもしれないが、事実は事実である。本人の意思、判断を第一に尊重する社会ならではと思う。家族任せ、医者任せの日本とは隔世の感がする。

オランダでは安楽死が「転倒する不安」「認知症」で認められるヘイロー市の診察室でソニア・ボスキルさん

 首都のアムステルダムから北へ車で1時間弱のヘイロー市。3人の医師で開業している診療所を訪ねた。診察室は、ベッドがなければ医療機関とは思えない洒落たオフィスのような雰囲気。壁に10歳前後の2人の子どもの写真が大きく飾られている。その母親で院長のソニア・ボスキルさんに、最近手がけた安楽死について聞いた。

転倒不安で安楽死

 今年に入って、家庭医(GP)として3人の高齢者の安楽死に付き合ったという。まず、ナーシングホーム(特別養護老人ホームに近い施設)に入所していた93歳の男性。

 いろいろな老人性の病気を持っていたが、一番問題なのは身体が弱ってよく転ぶこと。ボスキルさんが会いに行くと、いつも「手助けは要らない。ひとりでやるから」と言い放つ、頑固な性格だ。

 ところが、ある日。朝9時に起きて着替えを始めたが、午後3時になっても靴下をまだはいていない。衰弱が進んだためだ。彼は、以前から「私が自分で満足に体を動かせなくなったら、安楽死をしたい」とよく話していた。

 去年の9月に続けて3回転んだ。その時も「もう安楽死したい」と言ったが、老人科の専門医師に診てもらうと「まだ早い。身体の訓練をしては」と言われ、ボスキルさんの紹介でリハビリセンターに連れて行った。そこでしばらくリハビリをして自宅に戻ったが、歩き出すと転んでしまう。

 本人は「これ以上転ぶのは嫌だ。車椅子は使いたくないし、病院にも行きたくない。安楽死したい」と言い募る。何度話しても同じ答えだった。彼の息子にも状況を説明し話し合った。そこで、「私は彼の考えを受け入れることにした」とボスキルさん。

 息子の考えが親の思いを代弁することはない。親は親、子どもは子ども。それぞれ独立した人格というのが常識だからだ。

 安楽死を定めた法に従って、もう一人の別の医師にも彼は会って、安楽死の意思を伝えた。その医師も了解した。その後で、ボスキルさんは安楽死を「いつ、どのようにしましょうか」と彼に問いかけた。

 2月のその日になると、息子がとびきり上等の服を買ってきて、彼に着せた。そして、いよいよベッドに横たわり、その時を迎える。と、彼が「ビールを飲みたい」と頼んできた。ゆっくりビールを飲み干してから、ボスキルさんが致死薬を投与。彼は亡くなった。

 安楽死の条件として、終末期だけでないことがよく分かる事例である。車椅子を拒否して、安楽死を選ぶというのは、初めて聞いた。個人の意思を尊重する社会的規範が確立していればこそであろう。