雑念をどんどん
「そぎ落として」いく

 政財界から一般の方まで、全生庵にはたくさんの方が坐禅を組みにいらっしゃいます。波だった心を凪いでいる状態に戻すために、坐禅の時間を確保されるようです。

 坐禅の基本は、「調身、調息、調心」(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)。

 足を組み、背筋を伸ばして姿勢を正し、呼吸に集中します。長く深い呼吸を意識しながら、「ひとーつ、ふたーつ」と呼吸の数を数えることで、雑念が払われていく。いきなり、目に見えない心をととのえようとするのではなく、まず姿勢をととのえ、次に息をととのえるのです。

 禅に由来する「マインドフルネス」も、この「調身、調息、調心」を基本にしています。

 坐禅をはじめた頃は特に、すべてを忘れて無にならなければとあせり、それでもさまざまな考えが浮かんでくるので、「どうしたらいいでしょうか」と聞かれることがあります。

 雑念を払おうと思うのが、雑念です。

 私たちは、頭の中にあるものを完全に捨て去ることなんて、なかなかできません。考えが浮かんでくるのは、ごく普通のことです。

 重要なのは、そうした思考を追いかけず、余計な感情は手放して、捨てて、流して、忘れていくことです。

 最近では、坐禅には不安を解消することができる医学的根拠があるとされています。

以前、あるテレビ番組の企画で、不安についての実験ということで、バンジージャンプを行なったことがあります。もう一人の被験者は、その番組のアシスタントディレクターの男性でした。

 私と彼の心拍数をはかったところ、明らかな差が出ました。彼は、「ゴムが切れたらどうしよう」「装備が外れたらどうしよう」と、どんどん不安を巨大化させてしまったようです。一方私は、「考えても仕方がない」と割りきり、不安をふくらませずにいました。

 また、別の実験で、私の脳の血流をはかったところ、通常の人に比べて、脳の背内側前頭前野という、物事を客観視するための部位が発達していることが明らかになりました。

 それは、長年、坐禅などの瞑想を続けた人の脳の特徴だということでした。