機体が少しずつ下降するにつれて、エメラルド色の海岸沿いに宮崎の街並みが見えてきた。日向灘に面した宮崎平野が平たく広がっている。

 3月11日の東日本大震災以降、東北の被災地を歩き続けてきた筆者は、周囲に山や高いビルが見当たらないような湾岸の住宅地を見ると、大地震の後に予想される津波が押し寄せた場合の事態を想像して、つい住民たちの逃げ道を心配してしまう。

 今年7月中旬、講演会の招きを受けて、宮崎市を訪れた。

 主催は、みやざき若者サポートステーション(以下、宮崎サポステ)。ここの特徴は、引きこもり家族会の全国組織「全国引きこもりKHJ親の会(家族会連合会)」の「みやざき楠の会」をはじめ、「コスモス会」(不登校・引きこもりの子どもを持つ親の会)、「遊学舎」、NPO法人「フロンティア会」、NPO法人「人間関係アプローチ宮崎 きらきら」、NPO法人「ワーカーズコープ宮崎支部」、「㈱ウィングルヒューマンサポート宮崎」でつくる「宮崎ひきこもりネット」の各団体が共催に名を連ねていることだ。

 宮崎空港まで出迎えてくれた宮崎サポステのスタッフに、冒頭の津波の懸念を伝えると、「日向灘は地震が想定されているけど、ご覧のように、高いビルがないから、津波が来たら、もう逃げ場がないんですよね」と話していた。

 当日の宮崎は、日が射していたかと思うと、生ぬるい風が吹いてきて、突然スコールのような雨が降り出す。ヒタヒタと近づく嵐の予感。何とも不安定な空模様だ。

 窓の外は、そんな悪天候にもかかわらず、講演会場には、約100人もの参加者が詰めかけた。

 5月に岩手県で行われた引きこもり家族会の総会を取材したとき、県内各地の支部から集まった約100人の親たちが、沿岸部を中心に津波で被害を受けた被災地であるにもかかわらず、震災のことよりも引きこもりの問題に話題が集中していたことをふと思い出す。親たちにとって、子どものことや家庭の問題というのは、それだけ切実な問題なのだと改めて思う。