9月1日は防災の日。88年前のこの日、東京は関東大震災に襲われた。関東1府6県の死者数は9万余人。墨田区の南半分に当たる旧本所区だけで4万8400人が命を失った。

 旧本所区でこれほど被害が拡大したのは、避難先で2次災害が発生したため。陸軍被服廠跡の空地(現・横網町公園)に逃げ込んだ人たちを火災旋風が襲い、次々と炎の中に飲み込んでいったのだ。被服廠跡での死者は3万8000人とも、4万人を超えたとも。墨田区民だけでなく、全東京人が決して忘れてはならない記憶である。

関東大震災で膨大な犠牲者を出した街
データから見える高出火リスクとの戦い

 首都直下地震に伴う墨田区内の想定出火件数は、面積1km2当たり4.1件、23区平均の2.5倍に上る。一般に出火の危険度が高くなるのは、小さな建物が密集しているところ、あるいは町工場や危険物施設が多いところだ。

 墨田区は、宅地面積に対するネットの建ぺい率3位、建物の平均敷地規模21位、面積当たりの危険物施設数4位、そして面積当たりの工場数(工場密度)は1位。まさに高出火リスクの条件を備えている。

 一方、延焼の危険度は道路が狭いところ、オープンスペースが少ないところ、木造の建物が多いところなどで高くなる。こちらのデータは、道路率5位、平均道路幅員7位、オープンスペース比率12位、不燃化率10位。オープンスペースがやや少ない以外は、いずれも23区の平均を上回っている。

 そもそも、道路幅員や不燃化率は、都心3区が番外のベスト3。そう考えると、墨田区が営々と取り組んできた防災まちづくりの成果を、このデータから読み取ることができる。

 しかしそれでも、首都直下地震によって区内の建物は2割近くが焼失すると予想されている。近3ヵ年の火災発生状況を見ても、面積当たりの建物全半焼火災発生件数2位、1火災当たりの焼損棟数1位など、リスクは高い。火災との闘いは、今も継続途上にある。