民主党政権になって3人目の野田首相が誕生した。長い党内抗争の末の代表戦で野田氏が掲げたのは、「和=中庸=の政治」というキャッチフレーズであった。民主党をまず纏めなければ先に進めないのは確かだが、その後の人事でも党内バランスを取ることに腐心するなど、まさに「中庸」の政治スタイルになりつつある。それは、とりもなおさず09年の総選挙で民主党が掲げたマニフェストと現在の日本の状況に照らして必要な施策を「調和」させようという試みでもある。しかし、それは本当に意味のある試みなのだろうか。
09年のマニフェストで民主党が掲げていたのは、一言で表せば「自助努力ではなく、給付によって皆が潤う社会」であった。子ども手当、公立高校の実質無償化、農家の個別所得補償、暫定税率の廃止、高速道路の無料化など、いずれもそういう軸で纏められる施策である。そしてその財源は特別会計を含めた国の予算の組み替えで賄うというのである。しかし考えてみれば、公共事業や補助金の削減で子ども手当などの給付を行い、国家の総支出が同じであるということは、経済効果全体で見ればニュートラルか、または乗数効果が小さい分だけネガティブな効果がある施策ということであった。
さて、野田首相が代表戦で掲げた政策は、漠然としているが、大きく分けて原発事故の収束と、経済対策である。前者は本稿の主題ではないので、後者について、月刊誌に掲載された論文や、就任後の記者会見などを手掛かりにより詳しく検証すると、野田大臣の主張は、①国内経済の空洞化対策として企業に新分野への投資を促し産業と雇用の流出を食い止めること ②社会保障と税の一体改革を実現させること、であるようだ。代表選の演説で、「技術があってもお金がなくて困っている中小企業がたくさんある」と述べているように、恐らく野田首相の頭の中にある主な政策は、「円高対策」と「技術のある中小企業の資金繰り対策」なのだろう。
この野田首相の主張は、元々の民主党のマニフェストに比べると実は大きく異なっている点がある。第一に、マニフェストでは個人への給付を政策のベースに据えていたのに対し、野田首相の主張は企業への支援が中心に据えられていること、第二に、民主党のマニフェストでは国家予算の総額が変わらないことを前提に個人への給付型の施策を並べていたのに対し、逆に個人等への増税や社会保障費の抑制によって財政収支をプラスに持っていこうとしていることである。
実際、新しい内閣の中では、古川元久氏に経済財政担当相と国家戦略相を兼務させ、企業支援を中心とした成長戦略と財政再建を両立させようとしている。当初の民主党のマニフェストでさえ、経済効果的にはマイナスの主張であったのだが、野田首相の財政健全化施策は、更に経済の下押し要因となる。したがって、前者、すなわち企業への支援により成長戦略のみが経済を下支え出来る政策となっており、これは民主党のマニフェストとは根本的に異なる考え方であろう。しかし、党内事情によって、そのような水と油のような施策をどうにか「調和」させなければならない野田首相の前途は決して明るくない。マニフェストに縛られた新政権の悲劇と言ってよいだろう。