空洞化にもプラス面がある
円高是正論は、輸出製造業の空洞化が生じてもいいのかという一種の強迫論にもその論拠を置いているようだ。輸出製造業を簡単に定義してみよう。「競争力のある機械設備+コストの安い労働力」がそれである。大まかに言って、わが国の勤労者の所得が4万ドル、中国のそれが4000ドルという格差がある中で、企業活動がグローバルに広がっていくことは歴史の必然である。かつての英国や米国もその道を歩んできた。空洞化が心配だと言って、わが国輸出製造業のグローバル化にブレーキをかけることは、成長可能性に天井を設けることとほぼ同義ではないか。
また、空洞化は雇用の流動化をもたらし、20世紀後半の高度成長期とは異なった21世紀型の産業構造へと転換する、またとないチャンスともなり得る。加えて、円高をもっと積極的に活用し、海外の企業の買収を含めて、もっと国内に呼び込むという発想が取れないものだろうか。必然的に出ていかざるを得ない企業を情に訴えて引き留めるよりも、新しい企業を世界中から連れてくる戦略の方が遥かに理に適っている。
仮に空洞化で雇用問題が高まれば、政府もそれこそ必死になって、海外の企業を呼び込むべく、税制や証券市場や参入規制等、諸外国との制度間競争を見据えて企業が活動しやすくなるよう、わが国の構造改革に本腰をいれるのではないか。このように考えてみると、空洞化論は20世紀後半の高度成長時代の一つの残滓であって、現状維持を望む以外の何ものでもないのではないか。