私が将来の人生について悩んでいた頃、もうひとつ大きな影響を受けた本がトマス・J・スタンリーとウィリアム・D・ダンコの『となりの億万長者』(早川書房1997年)です。

 元ニューヨーク州立大学教授のスタンリーは友人のダンコとともに、1970年代にアメリカ全土の億万長者を対象とした大規模調査を実施し、常識とは異なって、お金持ちは高級住宅地の豪邸ではなく庶民の隣に住んでいることを発見します。

 スタンリーとダンコが出会った彼らは安物のスーツを着て、頑丈で燃費のいい車を乗りつぶし、周囲は誰も彼らが億万長者だとは気づきません。そのうえ彼らの多くは恵まれた家庭に生まれたわけではなく、平凡な両親を持つか、あるいは貧困層の出身だったのです。

 アメリカの「支配層」であるWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)は絶対数ではもっとも億万長者の数が多いのですが、人口比では4位まで順位が下がります。出身国別に見たミリオネア率の上位はロシア、スコットランド、ハンガリーからの移民で、その多くは第一世代でした。

 これは社会の底辺にいる、差別されているひとの方が億万長者になれる確率が高いことを示しています。金持ちの家に生まれたお坊ちゃん、お嬢ちゃんは遺産を食いつぶすだけですが、虐げられたひとびとはそこから這い上がるために倹約するのです。

 こんな説明をしたところで、「そんなのただの理屈じゃないか」と思うひともいるでしょう。そこでスタンレーは、「収入の10~15%を貯蓄に回す倹約をつづけていれば、誰でも彼らのような億万長者になれる」とアドバイスします。

 正確には「平均年収の倍の収入」が必要ですが、これは夫婦2人で働けば達成できます。

 日本では、大卒の平均的なサラリーマンが生涯に得る収入は3億~4億円とされています。共働き夫婦の生涯収入を総額6億円として、そのうち15%を貯蓄すれば、それだけで9000万円です。仮に貯蓄率を10%(6000万円)としても、年率3%程度で運用すれば、やはり退職時の資産は1億円を超えているはずです。

 このことから、せっかく就職したのに結婚や出産を機に専業主婦になることがいかに経済的に荒唐無稽な選択かがわかります。生涯収入で3億円の人的資本(労働市場から富を獲得する能力)を捨て、当たるはずのない(1等の当選確率は交通事故で死ぬよりはるかに低い)宝くじを買うようでは、なにをしているのかまったくわかりません。

 欧米や日本のようなゆたかな社会では、特別な才能などなくても、勤勉と倹約、それに共稼ぎだけで、誰でも億万長者になって経済的独立というゴールに到達できます。これは一見、素晴らしいことですが、きわめて残酷な事実でもあります。努力だけでお金持ちになれるのなら、貧乏は社会制度の矛盾やネオリベの陰謀によるものではなく、自己責任になるからです。

(作家 橘玲)